その人のルーツを探す、ファミリーヒストリーという番組があります。
私は、その番組が大好きで、いつも楽しみに見ているのですが、
みるたびに思うことは、先祖がどんな思いで、
命のバトンをして来たかということでした。
そのプロセスで起きる、様々な苦労や、ドラマ。
その先に、私たちが無事に、この世に送り出されて来たのだなあと思うと、
感謝の気持ちでいっぱいになります。
2019年、私には、乗り越えるべきこと、神様からの課題、
いろいろやっておくべきことがあるようで、
思い立って父方の実家を訪ね、
先祖代々のお墓詣りをすることになりました。
こういう時は、本当に自動的に心が動くものですね。
私の旧姓は、佐藤。先日、佐藤家で一番古いお墓参りに行って来ました。
時は、平安時代にまで、さかのぼります。
佐藤家は、その当時から苗字を持つ家だったので、お侍さんだったんですね。
一番古いお墓は、周りも草がぼうぼう。
もう、刻まれた文字も見えなくなっていました。
その中に、私にとってとても大切な方のお墓があると、
20年前に2人のユタさんに言われ、お参りに行ったのが、
最初のお墓詣りの始まりでした。
墓石の上に押される、丸い印は家として、
何やら特別な意味を持つようでした。
14代目にあたる当主の方が、草かり、道を作ってくださっていたおかげで、
私たちも、そのお墓にたどり着くことができました。
系図を頼りに、その先祖を辿って行くと、
佐藤家の始まりは、宮城県ではなく岩手県だったこともわかりました。
兄の源頼朝から追われ、東北に逃げた、源義経。
歴史に詳しい方ならご存知だと思いますが、
私の先祖は、その義経を守っていた佐藤忠信、
信綱信綱の子孫に当たることがわかり、
今、わかっているところでは、信綱が家系図に残っていました。
お墓のある場所は、隠れキリシタンが弾圧された、
岩手県、大籠。
ずっと、私たちのルーツは宮城県だと思っていましたが、
実は、岩手県だったということもわかり、
ちょと不思議な気持ちになりました。
お役目が終わり、残された佐藤一族は、
宮城県の馬籠という場所に南下し、
静かに暮らしたのだそうです。
私のおじいさんのお墓のあるお寺。
入り口のところに、佐藤兄弟のお墓があって、
同じお寺に代々収められているということから、
佐藤のルーツを辿る旅、なんだか、
とても不思議な気持ちで沖縄に戻って来ました。