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2007年1月15日

●比べないで!

カウンセリングで、クライアントの方のお話を聞いていると、
自分の小さい頃の体験と重なる感情が、ふと思い出されることがよくあります。
不思議と、同じ日に、同じ話題が出ることが多く、今日は、「比べられたことに傷ついた。」そんな話が続きました。

小学校の頃だったか、母が、私と私の友達と比べ、まじまじと、私の顔を見ながら友達を褒めた時のこと。
「それに比べて、あんたは...」と...。

小学校の頃の私は、母の趣味で髪の毛を剃られ、地味な色の服を着せられ、
男の子みたいな格好をしていました。
母と買い物に行き、ばったり友達のお母さんに会ったとき、
その人の前で母がこう言いました。
「ほんとうに、この子は、男みたいで、お宅のお嬢さんみたいに、
もう少し、女の子らしくしてくれるといいんですけど..」
と。私の女性性を常に否定していたのは、お母さんじゃん!?
「ねえ?私..お母さんの望むとうりの変な色や形の服をきて、望むとうりに、男の子みたいにふるまってるのに、それでも、私はお母さんに気にいられないの?」
子供の頃に感じた、言いようのない絶望感は、今でもしっかり私の心に残っていました。母に愛されたいために、受け入れていた屈辱的な髪型や服。
それでも、私は、彼女から受け入れられることはなかったのです。
その不毛感たるや。

私の出身中学の英語の先生で、通称『池文』って呼ばれてた先生がいました。
「お兄ちゃんは、英語ができたのに、君は、なんでこうも勉強ができないんだい?悔しくないのかい?」
兄弟で、比べられた体験、..きっと、皆さんも体験したことがあると思います。
「じゃ、私はお兄ちゃんとは別の道を!」
そんな発想を持ったのも、その頃だったかな。

誰かと比べられると、なんでこんなに悔しいんだろう。
傷つくのかな。

今でもね、私、時々あるの。
「最近EPOに似たアーティストが出てきたね?」
って。
「似てる」と言われてその対象がとても素敵な人だったらうれしいけど、
それでね、最近、気がついたの。
似てると言われるとき、もしくは、誰かと比べられた時、
心穏やかではない自分という人間が、
とても小さい奴なんじゃないかって、いちいち考えてしまうことが、嫌なんだと。
私は、私よ。世界でたったひとりしか、いないのに。
比べようのないオリジナルな存在なのに。

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コメント

私、EPOさんの気持ちすごくよくわかります。
うちの母もそうです。
小さいときばかりでなく、今も比べます。
私も、母の言うとおりにしてきたんです。
なんか、涙出てきちゃったけど。
これ以上書けなくなっちゃった。

今の私って、一体なんなんだろう・・・。

姉や兄は私と違って、頼りになる存在なんでしょうね。
遠く離れているのに。
一緒に暮らしてる私って、なんなんでしょうね。

病気だけで人生を終わらせたくないです。

すいませんでした。

え〜??
epoに似てるアーティスト?って一体だ〜れ?
どういう意味合いでおっしゃるのでしょうか?
なんか無神経・・・。
epoはepoであり、目指すところが似てる人が出てきたとしても
ありえるハナシだけど、世界で「たったひとつの」epoだよっ!!
私も小学生のころ、散々近所のデキの良い子と比べられ
本当に自信なくしてました。あれってホントにやってはいけないことですね。たとえ事実であっても、違う角度から自分の子を見つめてあげないと・・・。あの子にはないものをあなたは沢山もっているね!私の自慢の子供だよ!って。
母としては何気なく、または本当に羨ましくて?言ったのかもしれないけどね・・・
こちとら一生の傷だってぇの!(失礼、急に人格変貌。)
自分の子供には絶対しないと心に決めているので
いつも、愛情いっぱいHUG&ホメホメ言葉で接する私です。
自分がしてもらえなかったから・・・反面教師かなぁ。
それで、自分が癒されて安心するんです。

「比べないで」これは本当に難しい言葉です。
人間は人の視線を評価を常に気にして怯えながら生きていますし、その方が楽ですからね。
私も十代の頃はそんな男の子でした。
しかし、変人扱いされながらも多くの人に会い、経験を重ねることで、自分が五体満足であることを当然とは思わなくなりました。
「周りがどーだこーだ」と言いながらも、その機会をくれた両親に私は感謝しています。
EPOの歌はそんな私に多大な勇気をくれました。
以前ライブの時ラスト“DOWN TOWN”で誰も立たないなか私一人で立って踊った時、EPOさんが一番端の私の前まで来て歌ってくれたな。とても嬉しかったです。
これからもEPOさんを応援していきます。

人に自分を他人と比べられる事もいやですが
自分で自分を他人と比べるのもよくない事ですね。
つい「あの人に比べると自分はこんなところが劣っている」とか感じて
勝手に自己卑下して落ち込んでしまったり…
それだけならまだしも、小さな事で優越感を感じて得意になってしまったり。
誰だって他人には無い自分だけの良さを持っているはず。
ひとはひと。自分は自分。
比べてはいけないですね。
ひとの良いところは素直に褒めたたえ、
悪いところは寛容に受け止めたいものです。
比べるとしたら自分の過去と現在を比べたい。
昔の自分より良くなっているところを喜び
良くなってないところを戒めよう。
なんて書きながら、あまりに教科書的な事を言っている
いい子ちゃんぶった自分にちょっと自己嫌悪している屈折した自分がいるのです。
横顔さんの最後の話、感動しました。
ありがとうございます。

♪誰もが人生の重さを比べあうけど...幸せを感じた者勝ち♪

『何とかの遠吠え』という人生を悪しき物差しではかる本のせいで
負け組のレッテルを貼られた私ですが、売られた喧嘩には、

『俺、女を見る目があるから!それに比べてあなたは...
ワ〜バグトゥなご親切、ニフェ〜デ〜ビタンm(_ _)m』

なんて、落とし前をつけております(笑)


ワ〜バグトゥ:余計なお世話
ニフェ〜デ〜ビタン:ありがとうございました

英語のrespectって言葉・・
尊敬と訳すより、もっと日常的なところでお互いの個性を認め合おう、尊重しようよ!って感じ・・
ジャマイカの人たちが挨拶の時に使うようなrespect・・それがこの国にはあまりないような気がします。
行き過ぎた個人主義は困ります。単なるわがままですから。
でも個が個をrespectする、ここから始めないと誰もホントには自由になれないですよね。
epoさんたち音楽家が集まって、普段フツーにやっているようなこと・・
僕たちも見習わなくてはいけませんね。
とてもとてもエネルギーが要ることですけど。

「認め合う」「尊重する」
そうですよね。
考えや文化の違いをけなし合うんじゃなくて
違う事こそ当たり前なんだから、それを「認め合う」「尊重する」
そうありたいものです。
そういえばアクアノームなんてまさにそんな感じ。
あれだけ個性や畑が違う人達が集まって
EPOさんを中心に個性を輝かせ合っているハーモニー。
素晴らしい…。

>マクダルさん、葉山の山の空き家の話と「デジタル・暖炉」の話、そして『ペチカ』を結びつけられ
僕は夏の「海小屋」に対する、冬の「山小屋」ライブを勝手に想像してしまいました。
もとのEPOさんの日記から飛躍しまくってるのは今回もあなたのせいです。^^
>「epoさんのお名前って「ペチカ」でもあるんですよね。」
?これの意味がわかりません。種明かししてくださいませんか?

スミマセン。
もともと脈絡なくものを考えるタイプで、しかも時系列とかむちゃくちゃでも一向に気にしないもんで・・ご迷惑をおかけ致しております。(−−;)>

あいだが抜けているんですね、間抜けですね。
きちんと説明いたしますと、epoさんのお名前(本名)の栄の字がペチカでもあるんですね・・とそういいたかったわけです、ハイ。

また来ました・・・

気になって、栄(榮)の字の意味を漢和辞典で調べてみますと、

①(−・ゆ)しげる。かがやく。さかんになる。
②イ、ひかり。かがやき。ロ、ほまれ。
③②に同じ。④草の花。 ⑤屋根のすそ。

と書いてありました。

僕はてっきり木が燃えて光を放っているのかと思っていたのですが、
《解字》を読んだところ、木の上にのってる部分は桐の花の意味を含み、
榮となって桐の木、花が開く(さかえること)の意味になるそうです。
勘違いしてました。epoさん、ごめんなさい。

ずっと、比べられる連続で、今でもそれは続いています。
違う自分になりたかったけれど、なれませんでした。
母の中では姉弟の叱る(?)役割分担ができているようで、「○○は△△なのにあんたはどうしてできないの」というのが、その時その時で都合良く使われています。全て完璧にできるなら、人間じゃなくて神様だ!と今なら言い返せますが、子供の頃は泣くだけでした。
特に私と妹の場合は、逆にそれぞれの良い所を褒めてくれていてくれたら、どれだけ劣等感が少なくて済んだだろう、と思わずにはいられません。
年齢を重ねて母を見た時に、母も子供時代から兄弟に対する劣等感がずっとあったことがわかりました。
でもそれを子供にぶつけていいかどうかは別。

今の私は誰でもない、今の私。
まだ比較される事は多いけれど、何とかかいくぐって自分の生きたい道を進みたいと思っています。

epoさんに似ている!?そんな人思いつかない。
epoさんのセンスはepoさんだけのもの。