« 踊りにいきたいな! | 日記TOP | 夏!大好き! »

2007年7月23日

●楽しいこともあったんだ?


「あんなに辛い過去だったのに、楽しいこともあったんだって思ったら、少し、気持ちが楽になりました。」
本当に不思議なのですが、今日いらしたクライアントの方々の内の3人が、共通して同じコメントを残されていきました。
不思議ですが、その日にカウンセリングにいらっしゃるクライアントの方々には、このように、共通している接点が必ずあります。なんか意味があるのかな?

 胃ガンを体験した外科医の方が胃ガンの患者さんを多く見るというのを、聴いたことがあるように、境界性人格障害の母親を持つクライアントの女性が、MUSIC&DRAMAに多いのは、私が体験してきた、なんらかに因果関係があるからかもしれません。
それは、一日の中でも共通して起こることがあり、今日、お目にかかった初回のカウンセリングの方が、3人ともに共通した感動する前向きなコメントを残してくださいました。胸を打たれた私。悲しいことばかりが人間の心を支配しがち。しかし、「楽しいこともあったんだな〜と思うと、いいことも悪いことも、自分の人生なんだって、思えます。」と、催眠状態で微笑んでくださった。その状態で、皆さんは、自分の過去を自分の心の力で癒していたのです。被害者の立場で一色の人生ではなかったんだって、そんな風に感じられるようになったとたん、なんだか青白かった、顔色も鮮やか。そんな現場に立ち会うと、私も、自分の家族との関係を、一瞬に振り返ってみたくなるのでした。イン&ヤンとはこういうことかしら?
確かに、私の家も、めちゃくちゃな家族だったけど、私にも、まあ、楽しいこともいくつかはあった。だからと言って、帳消しにはできないことの方が多いけど、ちょっぴり、彼らのコメントに救われる思いがたくさんあります。いや〜、この仕事をしていて、日々、感じるのは、毎日が自分の点検、そして、クライアントの方々を通じて、気付かされることがたくさんあることに感謝が尽きません。だって、本当にね、ここにいらしてくださる人達が、私に教えてくれることばっかりなの。信じられないくらい、大変な人生を体験しておられ、しかも、肉体的にも損傷を体験しているにもかかわらず、さらに「私の人生こんなはずではないはず!」と、前向きにこちらのドアを叩かれるクライアントの方々にお目にかかると、彼らの勇気に、日々圧倒されます。私は同じように生きているかなと、自問自答してしまうこともあり。そんな瞬間が、あの八尾での精神障害者施設での仕事をいつも思い出させてくれて、私は、初心にもどるのです。だから、本当のところ、クライアントの方々が私の先生。
私ね、「先生」と呼ばれることに、慣れてしまい、気持ちよくなってしまったら、自分が終わるように思います。

トラックバックURL:

コメント

再び、富山のみちこです。

私も、家族が大嫌いと思いながら育ちました。
そして、今になって30代後半になって初めて自分の「こころ」と向き合っています。
具体的には、カウンセリング。薬も必要なので服用しています。

幸せなことに、配偶者と子供にも恵まれました。こういうしあわせって、ちゃんと気付いたらすごいことだなあと思います。
だから、先日の富山公演で泣きそうに感じたんだな、私は。

また読ませていただきます。

私も今の仕事は教える仕事で、
教える対象でない方からも「先生」と呼ばれます。
教える対象は子供なので、
物事を習う側の礼節もわかってもらう為に
「先生」と自分で言いもし、
人に何かを習う時の接し方も学んでほしいとは思います。
でも、教える側もそれを言う以上は礼節を尽くされるだけの
教え方をし、態度をとらないといけないと
自戒しなければいけないと思っています。
epoさんがおっしゃるように、
私も教えていながら学ぶことの方が大きかったりしますし。

でも、教えている子供の家族の方以外では
「先生」と呼ばれるのは非常に違和感があります。
この国全体のことかどうかわかりませんが、
「先生」と持ち上げることが相手に対する
儀礼というか、そう言うことが喜ばれるように
思うようで。
違和感より強く「嫌だ!」とも思いますねー。
逆に「先生」と呼ばれて喜ぶ人も
多いってことでしょうか。

私は仕事を離れたら一個の人間なので、
名前で呼んでほしいと思います。
もちろん仕事と私生活は別だからといって、
私生活をだらしなくしてしまうと
仕事も信頼性を失いますが、
仕事を離れたところではあくまでも個人の私。

個人の私が素敵だと思われる人間で、
それが仕事にも出るといいなあと思います。
理想と現実は隔たりがありますけれど。