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2008年1月22日

●怪獣よサラバ!

FIJI諸島共和国YASAWA島から元気になって戻りました〜。
あれこれ、言い訳をしながら日本を出発。「私は仕事と勉強をしに行くのだ!」(本当なのに)
だけど、スーパー・エゴの声は、「南の島だなんて、結局休みにいくんでしよ?こんな時に。どれくらい、仕事ためてると思ってるの?」
と、出発前まで私を責める。
「ちがうよ、葉山にいたら、結局何かと中断されるから、どこかに籠って集中するんだもん。」
て?私、誰に罪悪感を感じ、言い訳してるのかな。それに、一緒に行くのは、仲良しのピヨコ(国府弘子)だし。
皆に、バカンスだって思われるに違いない。「いいじゃん、思われても、私は仕事しに行くんだから。」
ほら?また、私は誰と話してるのかしら?私?


最近の私、マイアミ留学も、地方でのライブも、eponica最強の秘書、服部女史がお城を守っていてくれるおかげで、
膨大な日常のデスク業務からすっかり解放され、おかげさまで、ディープに創作モードに入っています。
そのせいか、楽器に向かう時間がとても愛おしい。感謝、感謝。

そう..音楽作るのは一番好きなことなのに、私の返事や、原稿や仕事を自分のせいで待たせている人がいると感じたとたん、
そのことが気になって、ついつい相手を優先させてしまう。
 音作りモードに入る時って、私にとって、瞑想のようなものだから、ゆっくりとした十分な時間が欲しい。
どこでも曲なんか作れちゃうんだけど、正直言うと、静かな時間の遠くから、聞こえてくる音や言葉を丁寧にキチャッチしたい。
なのに、そんな時間を自分のために作ることに、罪悪感がある。
自分には、そんな価値が無いとおもうこともある。バカみたいなんだけど。ここまで自己評価が低いか?重傷だよ私。

小さいときだったかな。
「きれいなものを見たり、奇麗な国に行ったら、いい音楽が作れるのかな。」と、
ぼう〜っと、テレビに映る外国の風景をみながら独り言を言ったら、いつものように母がこう言うのでした。
「才能のある人は、どこにもいかなくったって、作れるもんだ。」

そのとたん、悔しいやら、怒りやら、心が煮えくりかえるようでした。
さっきまで、キラキラの夢をみていたのに。

 「ああ、そういう考えを持つ人は、才能が無いからなんだ。私は、才能が無いから、そんなふうに思ったんだ。」
悔しかったな。母に、そう言われたようで。

っていうか、なんでそうかな。人が透明な夢の風船の中で気持ちよく浮かんでいるのに、
針でその風船をパチっと割られて、ドスンと落とされたような感じ。

あれ以来、その度重なる体験は、怪獣のようなスーパー・エゴの声となり、あれ以来、私の心になんらかの欲求が生まれたときに、ふらりと現れては、心を落ち込ませ、
才能の無い自分への言い訳をしている私を頭からバリバリと食らうのでした。

「あんたには、才能が無いから、どこかに行かないとできないとか、ひとりにならないとできないとか、たくさんの、言い訳してるんだ。」

ほら、作家が、旅館に逗留して原稿書いたり、取材旅行なんかするでしよ?
私、そんなふうに仕事ができたら、すごく仕事がふくらむだろうなと思うのだけれど、
そういうことに時間やお金を使うことに何故罪悪感があるのか、最近ようやくわかったの。

子供の頃から、心の中で飼っていた、スーパー・エゴ怪獣のせい。
こいつに、いつまでも、エサをやるのは、もうやめようと、私は決めたんだ。
私も、どこかに旅をして、旅先で音楽を作ったり、原稿を書いたり、自分の勉強がしたいなあ..
そんなあこがれを、常に持つ一方で、

電話やメールで迅速なコール・バックを必要とされるような仕事が間に入っちゃうと、
せっかくその世界に入ったのに、また現実にもどる。
その繰り返しがめんどうで、
作業を中断するときの、残念な気持ちを感じるのが、きつくなった。
その痛みを、感じたくないために、ここ10数年、真剣に音の中に自分の意識をおくことを避けてきた自分に気がついた。
アーティストなのに...何故?本当に変だよね。
たとえば、「大好きな人と、突然、別れが来るのが辛いから、会わない」みたいな感じで、もんもんとしてたような気がする。

そんな時、仲良しのピヨコから、「一緒に旅をしない?」と、
声をかけてもらったの。彼女は、秋に、国際フォーラムでの大きなコンサートを終え、また春から始まる、教育TV出演のための大きな仕事の準備に入り、
すごく忙しいはずなのに。さそってもらって、すごくうれしかった。

このさい、一緒に、南の島に明るく引きこもって、一度、自分を心からもてなす練習をしようじゃないか、
ということで、選んだ場所は、なんと、FIJI。しかも、そこから飛行機を乗り換え、さらに孤島と言われる、
YASAWAという南太平洋の孤島が、私たちの旅の場所となったのでありました。

ハハハ!怪獣よ、サラバ!

つづく...

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コメント

おはようございます。
スーパーエゴ怪獣・・・厄介ですねえ、ホントに。
私のスーパーエゴ怪獣は「お前さえ我慢すれば丸く収まるんだ」みたいなことを言ってることが多かったかもしれません。

>人が透明な夢の風船の中で気持ちよく浮かんでいるのに、
針でその風船をパチっと割られて、ドスンと落とされたような感じ

この感じ、わかりますー。(身に覚えあり)
そうやって子どもの楽しい気分をぶち壊されたら、たまりませんよね。(精神年齢があんまり大人でない親御さんって、子どもが楽しんでいるのを見て嫉妬することがしばしばあるそうですね。でも、子どもがそれに対して責任を感じる必要はないんですよね)

でも今回は怪獣をほったらかしてエイヤッと旅立たれたのですね(パチパチ)
フィジー旅行記の続き楽しみです。ライブのMCでお話されていたあの楽しいエピソードも登場するのでしょうね(ワクワク)

ユーミン語録に

『私はお店に指紋を残しません!触ったものは私のもの!(笑)』

なんてあったけど、ユーミン自身それを授業料だと思っているように
フィジの旅も授業料だと思って気兼ねなく満喫してくださいね!

余計なことは書かないでおこうと思っていましたが、ここはEPOさんの独り言広場、ということで。
ど〜も、EPOさんは全部答えを知っていますね。
僕も含めて、今となっては親は、ただの人だし、なので自分のことは自分で何とかするしかないし。バウンダリー症候群だってEPOさんの強力免疫T細胞の前では、為す術もないし。何故?は手段であって、大切なのは、(目的)どうすれば、だし。アーチストでなくても大切なのは、好きな場所や時間だし、それにお金や時間がかかるなら必要なのは罪悪感ではなくて経済学とバランス感覚だし、時間やお金は作り出すものだし。僕なんか才能もなにも無いのに、座右の銘は「自信なんか要らない」、好きなこと感じて出来ればいいし、何が出来る?気にしない、だし(あっ、これは余計でした)。
ふう(一休み)、フィジー?
どんなところかなぁ

「朝のドライブ」ってさあ、『つらいよね』

缶7。「カンパチ」も。

や「待て」通りもさあ。

『まあ』・あおやま通りかなあ

『エ』に鳴るのは。

今、仕事場。
誰も見てないだろうけど、ちょっと突っ込まれそうなので。
−−−「親は、ただの人」−−−
僕の場合、父親がどうにも嫌な時があって、思い出すのも、と思っていたら、あるとき、「育ててくれた人」って聞こえて、「えっ、人?、ただの人?」、もう答えてくれなかったけど、そしたら、すうっと、晴れてしまったのですよ。
今でも、きっぱり嫌なところは、嫌、で通しているけどね。
今朝の湘南(平塚)は、雪、初雪。

VITAMIN E・P・Oはさあ

フカノ楽器でかったんだよ。

『明るく「NO」と言うほうが、
無表情に「YES」と言うよりもいい』
    バルタザール・グラシアン

相手の思惑よりも自分の心を大切にして、
「YES」「NO」を言えるといいのではないでしょうか

『「NO」と言うことは、自分がやりたいことを
 実践するための基本的な選択肢の一つ』 A・ストッダード

『一度「ノー」と言うことは、
 あなたとあなたを振り回す人との関係に画期的な変化をもたらします。
 あなたを振り回す人は、
 あなたが「決して」断らない、断ることができない弱者であるから、
 あなたに要求し続けているものです』 海原純子

自分がやりたいことをやるためにも、
やりたくないことをやらないためにも、
「NO」と言えるようになれたらいいのでしょう。

『自分を守るために「NO」という
 言葉を使ってみてください』 A・ストッダード

『私たちが何かをしたくない場合、正当な理由はいらない。
 「したくないから」という理由で十分なのだ』 J・ミンチントン

「NO」と言いづらいがために、無理をしないほうがいいのでしょう。

『きっぱりノーと言えることが、人生を楽にしてくれる』 大島渚

『「NO」ということで、自分の成長を助け、
 さらに前進する環境を作り出すことができます』 A・ストッダード

時には、「NO」と言うことで、
自分が幸せになるための時間を増やせたらいいのではないでしょうか。

私の親の口癖は、
「世間はお前が言っているような綺麗事では済まされない」でした。

私自身自分の汚い部分も見えているけれど、
子供ながらにこうでありたいと、
周囲もこうであってほしいと思って
それを口にすると必ず返って来た言葉でした。

今子供と接していて、
窮屈に育っている子供達が多いと感じます。
常に人の目を気にして自分を隠し、
それでいて人とのつながりを欲していて
傷つかない様に表面でつながろうとする子供達。

そして、その親御さんたちもまた
同じ思いを抱いている様に見えます。

人を揶揄・非難することで自分から目をそらす。
それはたぶんマスコミもそうではないかと思います。
もっと、自らをしっかり見つめる、
自分を大切にする勇気が欲しい。
私自身もそう思います。