●な〜んだ、私、いいんじゃん?
今日は、朝から、自分のためのカウンセリングを受けていた。
この道に入ったら、在学中も、卒業してからもずっとそうしなければならない。
年間18回...いつまでも自分が簡潔しないということは、なかなか楽しい。
今日、あったまきた!という、最近の一連のことを先生とシエアした。
実はその感覚は自分を知るための重要な情報になる。
自分の感情であるかもしれないし、相手の感情を感じていることかもしれないからだ。
という意味で、人の体や心を施術をする際に起きる自分の心と体の感覚は常に情報だ。
自分が相手に何を転移しているのかを知ることで、自分の中に起こっていることが見えてくる。
私を不愉快にさせる相手には、どうやら責任はない。
悪気もない。
相手はただその状態を生きているだけ。
そこに勝手に感情を転移をし、意味を加えているのは私自身。
話は、ちょっと変わるけど...。
カウンセリングの際、何故、私が異性のクライアントに対してなるべく同性のセラピストを紹介するかというと、相手が勝手にセラピストのことを、恋人や、母親的存在、父親、兄、弟、妹、姉などを転移するとき、本来、その人が解決しなければならない問題解決に曇りが出てしまうからだ。
たとえば、この日記の投稿の中でさえ、別の次元で勘違いしている人さえいる。
全米ヒプノ協会はアメリカのライセンス。そのへんの決まりがとても厳しい。
アメリカは、セクシュアルハラスメントなどの訴訟が簡単に起こる。
クライアントにとってもセラピストにとっても安全なバウンダリー(境界線)を作るために、私は、なるべくなら同性どうしのセッションを勧めている。
話をもどす。
私が勝手に転移を起こしているその人は、私の母でもないし、父でもないし、兄でもないし、ましてや自分の昔の恋人でもない、かつて私のテリトリーから愛を物色し、恋人を奪っていた女性でもない...
なのにムカつく!でも何故?ここを正直に先生と探っていくのだ。
私はかつてはこのムカつく感覚を、明確に認識できなくて、
とても苦しかった。いい人になろうとしてその相手と仲良くなろうとした。
それが間違い。その相手に、がぶっとやられた。
賢くなろうよ、私。と思った。
人を嫌いになってはいけない。
こんなことを感じる自分がいけないのだと自分をずっと責めていた。
もしくは、人を嫌う自分がいけない。自分に問題があるからだと。
そして、人に対して違和感を感じる自分を感じたくないために、私は体をねじれながら抜け出し、別の次元で生きていた。
首にエネルギーのブロックをつくりながら、背骨をねじって、上手に自分の体を抜け出してしまう。私の、首の痛み、肩こりは全てここからきている。
でも不思議、プロセスをしたあと、感情を先生に吐き出した後、泣いたあと、体の凝りはすっかりなくなっている。
それで、今日は、朝から、先生に一時間、ここ最近起こった自分の中の違和感をはきまくり!
よくまあ、出るわ、出るわ!3年生にして初めてかもしれない。
そしたら、先生が笑ってくれた。
「eikoさん、今日はとても本物らしくてよかった。もっとやりましよう!」そう言ってくれたの。
学校でね、どうしても皆と同じ行動をすることに違和感を感じる時間があった。
団体行動がとれない私はもしかして問題児の素質十分。
皆がやっていることにどうしても心から同意できない。
プレゼンテーションしている人のありように、どこか共感できなかった。
嘘っぽく、しらじらしく、偽物のように感じた瞬間。
それを、正直に、行動に、態度に表現していいのかと先生に聞いたら、
「ここは、それぞれが、自分の感覚を信じるための学びをするところですから、他の人にのためにも、それをやって欲しい。皆もそれに気づくいい機会だし。」と、先生が応援してくれた。
な~んだ..。私、いいんじゃん!?
コメント
おはようございます。渾身のレポお疲れ様です♪
>人を嫌いになってはいけない。
これも私、長年ありました。
ふと思い出したのですが、うちの母親は私が子どもの頃、ある特定のタイプのクラスメイトと私を無理やり仲良くさせようとする傾向がありました。
私に「人と仲良くする時は、自分の好みや、その人と波長が合うと感じるかどうかは無視するのが当たり前だ」のような感覚が長らくあったのは、そのへんが原因の1つだったのかもしれません。
そんなわけで、かつては直感的に「何となく嫌」と感じる人とわざわざ進んで仲良くしようとしたりして、そんな自分を「大人だ」「人間ができている」と思い、悦に入っていました(苦笑)
で、そうやって無理に仲良くなろうとした人間には、まさに必ずと言っていいほど「がぶっとやられる」んですよね。今思えば、なんて自虐的なことをしていたんだろうと思います。
ということで、EPOさんも吐き出しお疲れ様です!!階段を一歩上られたのですね。拍手!!
Posted by: reika_k | 2008年12月19日 07:51
>カウンセリングの際、何故、私が異性のクライアントに対してなるべく同性のセラピストを紹介するかというと、相手が勝手にセラピストのことを、恋人や、母親的存在、父親、兄、弟、妹、姉などを転移するとき、本来、その人が解決しなければならない問題解決に曇りが出てしまうからだ。
以前に私がカウンセリングの問い合わせをした時に、カウンセラーは是非EPOさんで!と駄々をこねたら(笑)、本来ならメールで済む事を、メールだと一方的なので誤解が生ずる可能性があると言って、わざわざ電話を下さり懇切丁寧に説明して頂きましたね。
その節はありがとうございました。m(_ _)m
そうなんですよね。
カウンセラーがもしEPOさんだったら、私がEPOさんに恋愛転移してしまい、ニュートラルな状態でカウンセリングを受けられるわけがないんですよ!(笑)
ここ最近、若干躁モードが続いていたので、その反動でそろそろ鬱虫が顔を出すなと思っていたら、案の定、昨日から鬱虫が顔を出してきました。(苦笑)
就寝時に例によって、「百年の孤独」をリピートで流して寝たら昨日よりは良くなってましたが。。。(笑)
やはり、十数年来続いている背中の痛みも、感情のブロックから来てるんですかね?
私は結構言いたい事をポンポン言う方なので、それ程感情のエネルギーが内にはこもっていないと思ってたんですが、自分では自覚の無い所で溜め込んでいるのかも知れませんね。。。
一度、宮川さんにカウンセリングしてもらおうかな。。。(笑)
Posted by: あいうえお | 2008年12月19日 10:47
素晴らしい!
めっちゃくちゃ力強いこの日記! 俺(敢えて今日は私とは書かない)は本当に感動した。生きるってのはそういうことだっ!
…あ、でも私の変なメールでむかついてたんだったらゴメン、と
小心者はあやまるのも忘れないんだった。
でも、いい!今日の日記はいいぞーッ!
Posted by: seefarmiles46 | 2008年12月19日 22:29
実にタイムリーで、自分のことと重ね合わせじっくり読み返してしまいました。そして力づけられました。
>皆がやっていることにどうしても心から同意できない。
>プレゼンテーションしている人のありように、どこか共感できなかった。
>嘘っぽく、しらじらしく、偽物のように感じた瞬間。
私もこう感じることをどう取り扱ってイイか解らずに苦しむこと少なからず。
それでも「自分を偽ることの方が不誠実」だと、ふと自分の中にその感覚が湧き起こってから、緩やかでありながら劇的な変化が起こってきた気がしています。まだまだハードルは越え切っていませんが・・・
つい先日も、職場である人を怒らせたようです(笑)
その人は台風のように、チーム全体としての責任らしきものを中心にその人の「忙しさ」と「こうあるべき」の強風をまとい、自分のペースで目の前の事に従事する「非協力的な」(気の利かないとも言う)私に、苛立ち、怒りをあらわにしていました。まだ拙い私はその強風に揺らぎながら巻き込まれないよう必死に身を屈めてこらえていました。
「私が悪いの?」「私のしている事は間違っている?」
きっとその時のその人にとっては、私はその人の尺度にそぐわない「間違った悪い」存在だったのでしょう。でも、その人の尺度に、そして様々な人々の尺度にも合う様な私になったとしたら、もう、それは私ではない、そう思ったので、結局その人に「どう思われようがイイ」とする結論に至りました。ただし、「本当の自分を偽らない」と言う意味で誠実に。でもここまでがまだまだ難しいです、私には。「都合のいい言い訳してるだけじゃない?」とか。どこかでまだ揺らぐのです。そしてまたその人と明日一緒に仕事しなければなりません。その人の目では「利」の尺度で見られている事でしょう。
そんな時、epoさんの日記を見ました。〜励まされた気分です。
自分の思い込みで作っていた自分をどこかへ追いやるための壁、それをこうやってゆっくり越えていくのかな?なんて思います。
とってもありがたいタイムリーな日記でした。
どうもありがとうございました!
Posted by: ione | 2008年12月20日 01:13