●無能な気持ちになった理由
平行して様々な物事が動いている。
5月に発売予定のAQUA NOMEのRECはもちろんのこと、BBSHの宿題の締め切りは既にせまっているし、お尻に火がつくとはこのことだわん。
よくやってるよと、自分でも思う。
音楽しかやっていなかった頃が懐かしい。
でも、そこにはもどれない。
なぜなら、音楽しかしていなかった自分が社会人として、とても不安だったからだ。
アーティストは現実的なことは知らなくていいよと言う、相手を信じ、依存すれば依存するほど、自分の人生は何者かにコントロールされ、精神的に病んでいった悪循環を繰り返していたあの頃を思えば、
今はたとえ望む結果が得られなくても、自分に責任がとれる現実がある。
その蓄積が私に自信を与えてくれたように思う。
昨日、BBSHのプロセスを受けていた。
自分が無能に思えるカウンセリングセッションについて話をした。
「わからない、みえない、感じない、知らない。答えたくない。」
それでもちろん、OK。
その人は、何に対しても、「NO!NO!NO!」と答える。
それをやりに来ているのだと、わかっているのだけれど、それで、いいのかなあ?とも思う。
自分が、何の、力になれなかったような、無力感を毎回味わう。
せっかく高いお金を払って、セッションを受けにきてくれるのだから、
なんとか、そんなクライアントを、いい方向に導きたいと、焦る。
自分が、相手に対して、いいセラピストになろうとするとき、これが起こる。
饒舌に、相手にサービスをしなくてはいけないような気持ちになるのだ。
そんな、嘘っぽい自分に、嫌気がさしているのに、
クライアントから、「なんだか、よくわかりませんでした。」
と、言われ、それでも規則だから、料金をいただく時、私は自分の無能さを味わうことになる。
それをテーマに先生とプロセスをすることになった。
先生の体験では、クライアントによっては、ただ一緒にいてくれるだけでいいという人も
いるという。
別に自分が変わらなくてもいい。こんな自分と90分、黙って過ごしてくれることを体験したいと思っているクライアントもいるのかもしれない。
自分が親から、されてきたネガティブな体験。何をやっても否定される、「NO!NO!NO!」を、無意識にセラピストに再現し、セラピストからの反感を買うことに、安心し、親しみのある感覚と、勘違いする場合もあるという。
シンプルに苛めのエネルギー構造は、そのようになっているらしい。
全ての苛めには当てはまらないが、たとえば、虐められたら、すごく悲しいし、とても嫌なのに、虐められることが日常であれば、異常な状態でないと安心できないというような、ケースが実際にある。
暴力は嫌なのに、暴力をふるう人を好きになってしうことを繰りかえす人も、
暴力を親しみと感じてしまう、潜在意識の勘違いによるものである。
このことに関しては、いつか、もっと詳しく説明したいと思う。