●2012年を振り返る
2012年も残すところあと2日。
H木K子さんの占いによると、私は大殺界のド真ん中。
命をも落としかねないよくない一年、ただし、
自分への投資や、親孝行、だれかに気前よくごちそうしたり、
エネルギーを流すことで、負の時期が好転する...などなど。
と書いてありました。
文章をそのまま読んだら、どれほどの恐ろしい出来事が起こるの?
と、昔の私なら警戒していたかもしれないけど、
意外にも2012年を振り返ってみると、
楽しいことしか思い出せない。
今をどう生きるか、何を選択するかで、
人生はいかようにも変ることができるとわかり始めてから、
自分に対して、こういう占いの取り入れ方がずいぶん変わったように思います。
引き寄せの法則によると、警戒のエネルギーは、
警戒しなければならない出来事を、自分で引き寄せる結果になります。
だから、どれぐらい2012年を楽しめるか?
ということに期待して、私は、この一年を始めました。
統計学と言われているH木K子さんの情報は、言ってみれば命あるものが持っている、パルスのことなんじゃないかと思うのです。
「今は、そういう時期ですよ」というお知らせなのかも。
本に書いてある通りになるわけではなく、(もちろん起こって欲しくないことを自分が期待していたら別だけど)
それをふまえて気力、体力に見合った行動を楽しめばいいわけです。
2012年前半は、12.1日に行われたAQUA NOMEのための準備。
じっくりゆっくり仕事場にこもって、作品の方向性を練りました。
こういういう時間がいかに大切であったか...。
そして、後半は那覇のアパートから宜野湾の畑付きの一軒家へとお引っ越し。
沖縄の夏のエネルギーを満喫し、ここで生活することの基盤作りをしました。
いつもに比べてLiveが少なかった一年でもありましたが、
一度にたくさんのことを考えたりしなければならないようなプレッシャーも少なく、それまで頑張ってきた自分に、ご褒美をあげたり、体を労ったり、
社会奉仕の時間があったり、いつもよりも大好きな友達と一緒に過ごすことが多かった一年でした。
そして、声が出なくなるような、重い風邪を一度もひかなかったのも、
感謝すべきことでした。
昨日、笹子さんが遊びに来てくれました。
沖縄は夏日を思わせるような日差しと、いい風が吹いていた一日でした。
開け放った部屋の窓から、甘い風が部屋に吹いてくる中、
ひとりごとのように、彼がこう言いました。
「天国やな〜、あ〜東京に帰りたくない。夢のような理想の生活だよね。」
「信じて、選べばいいだけだよ」と私。
「う〜ん、でも、俺たちのような仕事だと、難しいな。」
そうだと思ったら、確かにそうなんだろうな。
今年はLiveも少なかったので、ちょっと心配してくれたのか、
「ねえ?仕事は大丈夫?」と、きかれました。
沖縄にいて、生活はやっていけるのかな?
という、誰もが思うシンプルな質問でした。
「本当にね?私、なんで、大丈夫なんだろう?」
自分でも不思議。
毎日、遊んでいるような気分だけど。
ますます、自在に、自由になっている気さえする。
何かが足りないと感じたことが、ほとんどない。
振り返ってごらんよ?自分の30年前の姿を。
休みなんかほとんどなく、友達にも会えず、毎日ヒット曲を作るための工場のような気分で生きていたあの頃を。
ギスギスした人間関係の中で、毎日、爆発しそうな感情をかかえていた。
時代からみても、音楽業界はバブル絶頂期。
アルバム作りに何千万もかけられたあの時代。
確かにレコードもすごく売れた。
印税もたくさんいただいた。
でも...私はちっとも幸せじゃなかった。
本当の豊かさについて振り返ると、
今ほど幸せで豊な気持ちになれる時が来ることを、
20代のあの頃の自分におしえてあげたかったな。
大丈夫だよ?あなたはって。
笹子さんに言われて、納得したひと言があった。
「EPOさんは、大変だったかもしれないけど、20代のEPOがいることが、
全てにおいて、今を生きやすくしていると思う」
私も、そう思うの。
だから、幸せじゃなかった自分にも感謝しないとと思う。
あの苦しさも、自分が選んだことだったんだから。
もしかしたら、あの頃のGiftが、今なのかな。
私は、一昨日、生き生きと歌う、伸びやかな比屋定篤子さんの歌声と、
笹子さんの素晴らしいLiveに久々に感動し、同時に、自分の細胞が、わくわくしていた。
2013年は、たくさん歌いたい!
そんな気持ちが力強く沸き上がってきました。
H木K子さんの占いによると、大殺界だったかもしれないけど、
いい年だったじゃない!?2012年。