●岩手県・大船渡で歌ってきました。
先週末、岩手県大船渡に行ってきました。
一関から、陸路を走ること約2時間。
「津波で心に傷をかかえている、いろいろな年齢層の方々に、音楽で対応していただけるアーティストの方にお願いしたくて」
岩手日報という新聞社の主催で、歌うことになりました。
私たちがLiveをするのは、大船渡にあるリアスホールの大ホール。
ここは、震災当時、何ヶ月も避難所になっていたところでした。
なんとなくですが、いろんな方々の恐怖や、不安や、悲しみや、悔しい気持ちがまだここに残っているような感覚になりました。
沖縄を出る前に、このLiveの趣旨に似合いそうな歌を、
たくさん用意して来たんですが、
90分でおさまるメニューが、なかなか決まらない。
リハで音を出してはみるものの、なんとなく、心と体に、
「この歌は違う」
というはっきりとした違和感が起きました。
不思議とメンバーのグルーブもうまくまとまらない。
なんだか、全然グラウンディングできない。
たぶん、私たちの中に何かが起こっていたのだと思います。
壊滅的な被害を受けた土地のエネルギー...
PAの方々や、照明の方々にぎりぎりまで、セットリストが出せないことを、
お詫びして、まだお目にかかっていないお客様のことを感じながら、
ゆっくりリストを出していきました。
この会場に来るであろう方々、全員が被災しています。
実際に、本番中、私はMCの中で、どのように皆さんに声をかけたらよいのか、
まったくわかりませんでした。
こういう時は、わからないままの自分に正直にいよう。
何もしゃべらなくても、一緒にいることに意味がある。
たぶん、MCは、きっと、歌がやってくれるだとうと思ったのね。
なので、そういう役割を持つ歌詞の作品を慎重に選びたかったのだと思いました。
3月になると震災のメモリアルとして、多くのイベントがいろんなところで行われます。
残された世代が、この出来事を決して忘れないよう、
次の世代に語り継いで行くということは、とても大切なものであると同時に、
3月が来ると、あの日の出来事を、
思い出したくないという気持ちになる方もたくさんいるそうです。
実は、このコンサートが企画された時も、
「epoさんのLiveであることは、知っているけれど、
何ヶ月も避難していた場所に行くのは、ちょっと苦しい」
という方が本当に大勢いらしたのだそうです。
Live終了後、帰り際、新聞社の方に、「皆さん、どんな反応でしたか?」と、伺うと、
皆、笑顔で、やっぱり来てよかった、癒されましたと、
感謝されましたよ~と、伺って、心がほっとしました。
プロジエクト『伝』の友達も、釜石からかけつけてくださいました。
「玄関に、孫の泥靴 春近し」新聞の片隅にそんな俳句が読まれていました。
大船渡の方でした。
沖縄に帰る日..気温マイナス1度。
今年、見る最後の雪になるでしよう。
東北にも、暖かい春が早くやってきますように。