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2016年5月28日

●「もう二度と会えない場所」

私の愛する存在が、ひと月前に天国に行ってしまいました。
そして、同じ日に、大切なお友達が天国に行ってしまいました。
悲しみが重なりました。
この一ヶ月、まだ、私の心はだめです。
だめでよいと思っています。
だめなんだから。

そのだめな自分の心の場所から逃げないで、
ちゃんと「悲しい」という気持を感じ続けようと思っています。

今も、発作的に涙が止まらなくなります。
それは、本当に、とっても愛していたんだという気持の証拠です。

ひと月たって、月命日がやってきました。
その日は、いろんな思いが私の胸に溢れていました。
自分の心が、過去の思い出を彷徨うと、
また、涙の発作が起こりました。

今は亡き、愛する存在と共に過ごした心の場所に、
ぽっかりとあいたSpaceがあって、
どうにもその場所をうめることができないままです。
うめようとしても、うまらないのです。

ここへきても、もう会えないのかと思うと、
とっても悲しい場所です。
とっても悲しい場所なんだから、
仕方ないのです。
その場所に名前をつけるとすれば、

「もう二度と会えない場所」

昨年から、今年にかけて、
私の心の中に、またひとつ、ふたつ、

「もう二度と会えない場所」

増え続けております。

そんな月命日の日のことでした。
大切な家族が突然入院。
満月の日が山だと、家族から連絡があり、
私の愛する存在の命日で、しみじみしながら、
大切な家族のお祈りをしていました。

私の父が亡くなった日に、
お世話になったギターリストの大村憲司さんが亡くなりました。

この時も、同じようなWショックを体験しました。
うちもお葬式だったので、
悲しいことに、憲司さんのお葬式にはうかがえませんでした。

「誰々も来ていたよ、どうしてEPOはお別れに来なかったの?」
たくさんの人に、そう言われました。
でも、私は、その時に、

「私の父も亡くなったの」

と、何故か言えませんでした。

うちは、家族葬だったので、
周囲の人々に父が亡くなったことをお知らせしませんでした。

この一ヶ月、悲しい別れが続き、
あの時の、自分のどうしようもない気持を、
じんわりと思い出していました。

今を、丁寧に生きて、
少しずつ、悲しい過去の記憶のファイルを引き出しの奥へと、
移動させ、
悲しみを思い出さない日が自然にやってくるのを、
私は待っているところです。

宮川 永子さんの写真