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2006年9月25日

●HPを検索していたら

秋の風がさわやかな葉山の一日。
今朝は6:30分に起床。
医療関係のことがわかる同時通訳者の手配で半日時間を過ごしました。
HP検索していらた、興味深いHPに目が止まりました。
外国の方々が日本で安全な医療を受けられるために、
立ち上がった医療通訳の協力団体がありました。
家族の中にバイリンガルの子供がいたりすると、その子は、学校を休んで病院で家族の通訳を病院ですることにな場合が多いそうです。
当然、家族であるが故に、あまりに近い存在であるからこそ、私情が入り、患者の症状を伝える時に、患者本人の言葉を歪曲したり、はぶいたりするケースが多くなります。
 家族が病気だなんて、誰もが認めたくないから、それもすごくわかる気がします。
 残念なことに、患者には、家族の思いが裏目に出て、適切な治療を受けられているのかわからないという不安が生じ、医者と患者との間に信頼関係が築きにくくなります。
その結果、患者が病気の改善を遅らせてしまうというケースがあり、そのような人たちをサポートする団体があることに、心から納得した私でした。

 ところで、ちょっと話はずれるかもしれないんだけど。
親子カウンセリングでこちらにみえている人たちを、ふと思い出しました。
一番、本音を吐き出してもらいたい場所でも、自分の子供は、よい子に見られたいと思うあまり、本当のことを私に言わない親の気持ち、そして、自分はよい親であるという主張を多くの親がします。
「なのに何故、うちの子供はこんな風になってしまったのでしよう?」
そんな時、私は、「何故だと思いますか」と聞き返します。
答えは必ず、クライアントに答えさせるのが、うちの方針。
「顕在意識レベルでクライアントが話をしていることの背景には、
もっと深いドラマ、そして本当はもっと表現した言葉がある」
カウンセリングをする際には、その言葉の奥にあるものを読み取りましようと、矢澤先生が、日々、私たちに、教えてくださった言葉でした。

 確かに、カウンセリングシートにご記入いただく相談内容と、
実際に催眠に入った時に、御本人が問題と自覚される内容が、
全く違うことがほとんどなのは、それを意味しているのかもしれません。

セラピストにとって、クライアントの心の行方は、ほとんど予想不可能。(なんとなくパターンはあるものの)
こうあってくれたらいいなと、セラピストが予想する結末へは、ほとんど着地しません。クライアントは、予想外の根本原因へと彼らは、セラピーの間、行きたい過去の場所へと、のびのびと、旅をしていきます。「おお、そうきたか!」と拍手を送りたいくらい。
そして、たまに感動して、私ったら、もらい泣き。
ほうっておいても、その心の動きは、実に、そのおおらかで自然な放物線。純粋な軌道。
愛について語る言葉は、まるで詩人。本物のアートです。
本当に人間は素晴らしいと思う毎日です。
私たちは、もともと完全な形で生まれてきているということを、
忘れすぎです。

人は、みんなそれぞれ違う目的を持って生まれてきている。
だからこそ、それを学べる家族を選ぶんですね。
外科医が医学部で難しい勉強をするようにね。