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2006年12月17日

●古傷からのメッセージ

ホテルの部屋で、コーヒーを飲みながら、原稿を書いていたら、
ガグカップを持つ手が、デスクに置いてあった電気の傘にぶつかり、
PCにばしゃっとかかってしまいました。
マイアミからも、毎日日記を更新できると思っていたのに、とんだことです!
バッテリーをはずし、WEBマスターの宮田さんのご指導に従い、
ドライヤーで乾かし、なんとか、ようやく復帰したものの、
液晶画面の右端には、スタバのコーヒー作、光のアートがシミになって残ってしまいました。
帰ったら、修理...もしくは、買い替えないといけないかも..

実は、最近、私の体にちょっと変化がありました。
マイアミ出発の一週間くらい前から、小学校低学年の頃から、
何年も持ってた、心臓の痛み、息苦しさが、
突然復活してきたのです。
「あ、知っているこの不快感」
息を吸っても、吸っても、肺に空気が入ってこない感じ。
仕事をしながら、パニックになりそうな瞬間がけっこうありましたが、
我慢癖がついている私は、「気のせい、気のせい」
こんな感じで過ごしていたんです。
胸は「愛のチャクラ」、「愛のエネルギー」
昔の痛みが出たということは、きっと、
感じる必要のある過去の痛みを外に表面化する時が来て、
BBSHの前に、体の旅支度が始まったんだと思いました。

そういえば....
私の母は、私が体調が悪かったり、病気になったりすると、とても機嫌が悪かった。
ただでさえ、人生の愚痴ばかりで、絶望的に暗い人だったから、
「こんな、私のことで、母に迷惑をかけたくない、叱られたくない。」
そんなふうに思い込んでいたんですね。
だから、私は、肋骨を折った時も、親にそのことを言うことができなかった。
小さい頃から、自分の体の世話を自分でみる必要があったんです。
母も父も、お互いの不仲にエネルギーを使っていたので、おそらく、私がこんなふうだったなんて、
気づいてもいなかったと思います。
今思えば、この私が、小学校低学年の頃は、足の間接が痛かったり、息が苦しかったりで、よく体育の授業を、
休んでいたのを思い出しました。
とにかく、何に対しても意欲がわかない。
「こんなことして、何になるの?めんどうくさい」
母からの虐待が日常的にあったので、
自分は生きている価値なんかないと思っていました。

その時の痛み、息苦しさが、何故、今頃出てきたんだろう...。
授業が始まって間もなく、私の心の深い部分のクレンジング(浄化)が始まりました。
毎日号泣...。
意識の中がとても拡大しているらしい。
体がとても疲れます。
今、こちらは、深夜2:00分。
5時に授業が終わって、部屋に戻ってきてから、さっきまで眠ってしまいました。

「私は、悲しかったんだ、本当は泣きたかったんだ。寂しかったんだ。
困ったときに、誰かにとても助けてもらいたかったんだ。」
傷つくくらいなら、感じないほうがまだましなので、感じることをやめてしまった、小さい頃の私。
でも心と体はずっとそれを覚えていて、早く外に出したい、出したいと、
常に願っていたのです。
今日の授業の後、私の呼吸はいつもどうりにもどり、首の凝りも消えていました。

「ソウル・キッチン」は、母とのことを書いた作品だけど、
あの作品を何故自分が作ったのか、その理由が今頃になって、
理解できるようになりました。
自分で作っているのに、「なんで今頃?」って思うでしよ?
作品は直感のままに、生まれてくる、自動書記のようなもの。
誰かに手助けされて作っているので、自分の感情や思いに実感が伴っていない場合が多いんです。
だから、アルバムの中の歌よりも、ツアーをやった後の方が歌が生き生きしているのは、
自分が、その歌に合わせて成長しているからなんだと、このごろ思います。

日本は寒いですか?
マイアミはここ数日、雨が降っています。