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2007年1月16日

●無条件の愛?

我が家のフイちゃん、オモちゃん、猫なんだけど。
彼らから、何かしてもらおう..とか、思ったこと、ないの。
愛したからって、かわいがったからって、そうだからと言って、
なにか返してもらおうとか、そんなこと思ったことないのね。
ただ、ただ、元気で、楽しく、暮らしててね、って、そんなことを思う。
ありのまま、そこにいてって、思うだけ。

でも、相手が人間だと、何故、愛した分、見返りをどこかで、期待したり、
期待されたりすることに傷つくのかしら...。私たち。

たまたま、今日は、そんな話がカウンセリングで続いて、私も子供の頃どうだったかな...
って、またもや考えた1日でした。
 
条件付きの愛に混乱し、傷ついた子供達の体験の蓄積を溶かし、ゆるめ、
本当の「愛」の意味を、思い出してもらう作業をしながら、
今日、私も、クライアントの方々を通じて、本当に、いろんなことを考えさせられました。

「愛」ってなにかを、どんなに小さい子供も、知っているんだって。
だからこそ、条件付きの愛に、子供達は傷つくってことを。
それって、どんな子供も、真理を知っているってことよね。
すごじゃない!子供って!?

愛されたら、それに答えなければいけないって、そんなこと考えなくていいのに。
昔、子供だったことがある大人の私たちも、いまだに人間関係の中で、
そのプレッシャーに苦しむことがある。

きっと、愛情の見返りを期待したり、期待されたらそれは、もしかしたら、
相手から、嫌われたくないため、もしくは、自分が寂しくならないために、
人に与えている「愛」という名前をつけた、エゴイッスティックなエネルギーでしかないように思います。

人を愛する前提が、「自分が寂しくないために」「嫌われたくないために」だから、相手を苦しめたり、相手によけいなプレッシャーを与えたりするんだと思う。だって、それって、
自分が、相手から愛されてるかどうか、必要とされてるかとうか、確認したいということが、行動の意図だから。
だから、見返りが欲しい、確認できるものが欲しいわけでしよ?

「無条件の愛」動物にも、人にもいつでも発電できる自分でいたいな。
2007年に入って、とても深いセッションが続いています。
明日も、朝から夜までセッションです。