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2007年8月 3日

●アレってドラマの中のこと?


現代医療の素晴らしさ!


 私が、心の師、農業の師と呼んでいる、とても大切な方の手術があり、朝6時起きで、東京に向いました。私に無農薬の健康野菜をずっと送ってくださっている方で『畑の先生』と呼ばれている方。先日、雑誌にも取り上げられた、ある種、野菜作りのアーティストです。
 BBSHの先駆者であうバーバラさんは、医療と、ヒーラーが共同で人を癒す時代を理想としている人。歯医者さん以外、ほとんど、縁の無い私は、総合病院においては、なにからなにまで興味シンシンです。いや、ほんと、もしも、もう少し、気持ちが傾いたら医者になりたいとも思う私ですから。

 彼に対して、私は、普段から本当に何もできないけれど、ただそこにいて、「ここにいるからね〜だいじょうぶさ〜」と、そんな気を送り続けるだけで、いいかなと、思ったわけ。BBSHでは「思い」が全てだから。普段から変わらない自分たちを病院で表現する。これ、けっこう安心でしょ?クライアントにとって。
 手術の時間なんと、6時間。長いよね。85歳を過ぎる男性に取っては、けっこうハードだったのではないかしら?都会の大きな総合病院は、テレビでよく見る『手術室』なる赤いランプのつく部屋などどこにもなく、けっこう緊張感のないフロア。
何組もの患者さんが、同じ時間にちがう先生から手術を受けるから仕方ないけどね。一家族のために、一点滅はしていないという、そんなことです。テレビとは、ずいぶん違ったな。この病院。
『家族休憩室』という場所で、雑誌を見たり、PCで仕事をしたりという感じで、彼が、開き戸から出てくるのを、待つわけですが。ひとつ思ったの。やっぱり待つなら、廊下だと!
あの、あの感動的な、手を握ったりするシーンは、廊下じゃないと。でなければ、エレベーターホールなんだよ。
私ね、その人の頭の名字の響きで廊下に飛び出ていって、「お帰り!」って言おうとおもったら?その患者さん、若くて、体の大きな方で、畑の先生とは、全くちがうタイプだったの。ここでもハヤトチリ。手術でむくんだのかと思ってしまった。

だからね、結局私は、ほとんど、廊下にいたわけ。
彼の奥さんは、憧れのように、それを望んでいたので、
私は、伝書鳩のように、「お母さん、今だよ!」なんて、部屋と廊下を行たり来たりしていたわけでした。
たまに、ロビーに置いてあるテレビや雑誌に、気をとられ、浮き世の世界を疑似体験したりもしているのだけれどね。『畑の先生』が無事に6時間後に出てきて、病室に入られたとき、全身の力が抜けまくり..。
なのに、患者である本人が、冗談まで言ってる。痛いのに、気を使わなくていいのに〜看護婦さんにまで。
 そんな時ね、私たちの横を足早に走っていく、病院の先生と大勢の看護婦さんがいたの。ベッドには、白い布がすっぽろりかぶされていた。
亡くなったのかな。その方。そこには、硬質な物体が放つエネルギーを確かに感じた私でした。美しくさえあり、とても静かな時間なの。
「はい!終わり」という潔さでもあるのかな。大人なのか、子供なのかもわからない。でもね、とても高貴な感じ。不思議ね、死んでしまったら、私たちは、物質なのに。
病院というところ、生と、死、両方体験する場所であると同時に、個人が生きた時間の高潔さにふれられるそんな場所なんですね。

へとへとになり、夕方、葉山にもどり、ひとついい土地を見つけた。
「生きてる」って感じがしたよ。けっこうそれも。
今日は、いろんな意味で、ちょっと疲れたけど、帰ってから、沖縄の島酒をのんびり飲みました。さ、明日は休み、ねるど〜。