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2008年5月14日

●「私を生んでくれてありがとう2」

皆さん、お誕生日に、こんなにたくさんのメッセージを本当にありがとうございました。
お誕生日休暇をとって、湯河原温泉で過ごしました。
国府弘子夫妻もかけつけてくれて、久しぶりにのんびりふやけました。
そして!お誕生日の日に初めて覚えたことがありました。

「エプが、誕生日の日に、絶対に人をもてなさない方法として、マージャンを教えます!これ、自分に集中するし、もてなして席を立ったら、メンバーからひんしゅくをかうから、
絶対にもてなさなくていいマージャンは、エプにとって最高のHealingになるよ!」
と、旅館に着いたら、なんとマージャンセットが...。
「え〜?覚えるの難しいでしよ?」「セブンブリッジよりおもしろいよ!」と、そんな流れで、始めたら...?
むむむ...おもしろい。細かいルールはよくわからないけど、楽しいね。気がつけば、夜中の2時。
わたしたちったら...。休みに行ったのに、何故、朝眠い...。
と、まあ、そんな感じで、今日は、ゆるゆるもどってきました。

もどってきて、HPのダイヤリーを読み、本当にびっくりした。
たくさんの方々からのコメントに感動しました。
そして、なんか盛り上がってるみたいだから、私も、参加しなきゃと思い、日記書いています。

私の日記は、私自身の正直な心境を書くことが多いので、投稿してくださる方も、そうでない方も、
いろんなこと感じてくれてると思っていました。
このサイトは、読んでくださった方々が、本当に繊細にいろんなことを、深く受けとってくれてるなと、感じられるコメントが多くて、びっくりします。

私は、いろんな雑誌やインタビューで「内的資産」という形で表現しているように、葛藤しながらも家族との関係から、学ぶことを前提に、自分の変容過程を表現していこうと思っているの。

そして、音楽もそうなの。

私は、子供の時代に、「痛い」「悲しい」「悔しい」「怖い」「不安」など、心の底からそのような感情を感じることは、家族を否定することになるので、感じないようにしないと、本能的に生きていくことができませんでした。

どんなに異常なことがあっても、「まあ、そういうことは人はするかもしれない」「その人に違和感を持つのは、私に問題があるから?私が悪いからなんだ」
と、もやもやした気持ちを引きずりながらも、異常な人間関係も受け入れられたのは、家族との関係のなかで、その取り扱いに慣れているからだったり、嫌なんだけど親しみがあるからでした。
私は、自分を大切にするということは、どういうことか、知らなかったわけです。
それが、私の人間関係における、価値観や考え方の基礎となってきたために、正常と異常の区別がつかず、大人になってから様々な事故に巻き込まれてきました。

要するに、家族が全ての価値観の基礎になっていましたから、混乱して大人になってしまった。
そんな中で、音楽で自分を表現するというのが、唯一私自身が自分を肯定できる手段だった。

私という人間は何者なのか...自分のエッセンスを感じ、そのエッセンスで自分の入れ物をいっぱいにすることで、やっと存在していました。
「自分なんか生まれてこないほうがよかったんだ、こんなに辛い目にあるのは、望まれない子供だったからなんだ。」と、
思っていた私は、音楽の中で正直な自分の気持ちと対話することで、
やっと自分がこの世に存在することを、自分で肯定させていたように思うのです。

それが、絵を書くことだったり、小説を書くことだったり、運動することだったり、
皆さんもそれぞれ自分のエッセンスを確認する方法を持っておられると思います。

それでね、私、何を言いたいかと言うと、
たとえば、EPOの「ブリーディング・ハート」という作品。
主人公の女性が、母親から受ける精神的な呪縛に対して、
狂わんばかりの不快感を「ここから出して!ここから出して!」と、激しく歌ってるんだけど、
それはまさに、私自身。

今でも、そのこと思い出すと、心臓から血が出るくらい痛いの。
心臓から血がでるって、不快なことだよね。
子供が心臓から血を出しながら生きるって、辛いよ。

私は、曲を作りながら、自分の中にある不快感を、自分から切り話さず、その不快感と共にいることを作品の中で選んでいました。
「不快だって感じていいよ、辛いって感じていいよ。ママのこと嫌いだって感じる自分と、私は一緒にいてあげよう。」
そうでないと、自分が分裂しそうになっちゃう。
その不快感を自分から切り離したとたん自分の心に痛みが出る体験をたくさんしすぎてきたから。
「痛み」を感じる自分も、大きな私の全体の中の大切な一部なのだし。

さっき、ふとね、『Soul Kitchen』を見ていたんだけど、1998年はまさに自分にとって、第4期、混乱期のまっただ中。
その翌年『Peach』を作っている最中に、父が亡くなり、私、40歳の頃、初めてカウンセリングを受けることになった。

そうそう...。

『ブリーディング・ハート』はね、確かに、不快な作品ですよね。笑。
私は、今でもあれ聴くとね、拳を振り上げたくなって、怒りと痛みと悲しみが込み上げてきて、泣いちゃうもん。
私の中の正直な不快感を肯定するために、書いているから、当然だけど。

同時に、共感してくれる人もたくさんいる。
何も感じないって言う人もいる。
CDの中で、あの作品いつも飛ばしてるって人もいる。笑。

それぞれ、みんなが感じたエッセンスをいつも、大切に読んでるからね。

もう8年もたったんだな。