このところ、ずっと、私自身のプロセス日記になっています。
いったい、過去に何があって、その記憶が今の私の人生において、どのような思い込みや、恐怖や、不安を作っているのか、今ようやく解決できる時が来たのだと思います。自分から逃げずに向き合ってみよう。
長い旅の途中です。
肋骨が痛い...
骨が痛みを記憶している..
これって、そういうことなのかな。
ロルフイングという治療があるでしよ?まさに、こういうこと?
私、小さい頃ね、住んでいたアパートの前で3つ上の兄とパレーボールをしていたの。
そこに、突然、自転車でつっこんできた私の同級生。
ハンドルが私のみずおちに入り、私は転倒...
そのまま息が出来なくなり、意識朦朧。痛みと、呼吸困難で、倒れたの。
そしたらね、私の兄は、こう言ったの。
「みっともない!バカヤロウ!立て!声を出して泣くな!すぐに立ち上がれ。」と。
そして、私を蹴った。
「うう、息ができない...苦しい。」
「そんなもん、関係ねえんだよ。バカ!みっともないから、痛くても声を出すな。」
これって、どういことなのかな?
痛くても、痛いと言うな。みっともないから、泣くな。
誰の都合?息もできない、痛いのに、それを、みっともないから、訴えることもするなというの?
助けてと、言ってはいけないということ?死んじゃうじゃん。私。
小さかった私に、選択は無く、兄の言葉に従うしかなかった。ぶたれると痛いから。
私ね、力ふりしぼって、兄の罵倒に従って立ち上がった。
泣いてもだめ、痛いと言ってもだめ。苦しいと言ってもだめ。
だいじょうぶか?とか、痛くないか?とか、医者にいくか?
とか、そういうことは、全く出てこないわけよ。
バカ!は出てくるのに。
自転車で正面から、私の体につっこんだ、その子は、あまりの事態に驚いて、
真っ青になって、泣いて家に帰ったの。
私は、意識朦朧のまま、たちあがった。
兄は、私を抱き起こすでもなく。私に、こう言ったの。
「おい。家に帰る前に、あの子の家に言って、自分が悪かったと、
誤ってこい。自分は、なんでもないと、おばさんに言ってこい。」
え?なんで?なんで?
息ができないし、空気が体に入ってこないし。
私は、被害者でなのに、
なんで、私が、謝らなきゃいけないの?
「いいから、言ってこい。めんどうなことになる前に。」
ねえ?めんどうって何?めんどうって何よ?
と、今なら、きけるのにね。
動けず、苦しそうに停止している私に、兄は、こう言ったの。
「いいから、いけよ。いかないと、ぶっとばすぞ。それにな、このこと、お母さんに絶対に言うなよ、バカ!」
お母さんに言うなって、兄は、何が、怖かったのかな。
私のことなんか、どうでもよかったわけ。
めんどうなことになることを避けられれば、私の体なんか、どうなってもよかったってことでしよ。
お兄ちゃん、一緒に来てよ、と、お願いしたけど、
「なんで、俺が行くんだよ。お前、ひとりでいけよ。わかったな。オレは、先に帰る。」
なんて人だろう?
私は、泣いて家に帰ったその子に、何を謝ったらいいのかわからなかった。
私は、全然、大丈夫じゃないのに、「あの..ゆうちゃんに伝えて下さい。私は大丈夫だから。心配かけて、ごめんなさい。」
突然、私が訪ねていったから、一階に住んでいる、その子のお母さんに、きょとんとされたまま、そして、それにも、どうしてよいのかわからなくて、私は泣きながら、3階の部屋に戻ったんだ。
痛みと、息ができないのと、この混乱した状況に思考停止したまま、
布団の中で、動物みたいにうずくまった。
ごはんの時間がきても、ふつうの顔で、普通に食べて、普通に眠ったんだっけ。
どうして、私が、謝らなければならないの?おかしいでしよ?
でもね、その時は、兄の変な命令に従うしかなかった幼い自分がいたの。
その後、とにかく、2か月は、痛くても痛いと言ったらいけないという決意で、
痛くても、呼吸困難でも、母に知られてはいけなくて、体育を休むことなく、
普通の顔をして過ごしたことだけ覚えているの。
今から、20年くらい前かな、ツアーでね、熊本のホテルに滞在したときのこと。
お風呂に入っているときに、すべって、右肋骨を折ったんだ、私。
救急車で運ばれ、翌日、飛行機でもどって、慶応病院でレントゲンをとった。
「佐藤さん、打ったのって、右ですよね。でもね、左が折れた後があるんだけど。
肋骨折った記憶ってある?」
医者に言われて、びっくりした。
そういえば、なんで、私の肋骨は左ばかり大きいのだろうと、思っていた。
レントゲン写真をみたら、折れたところが、太くなっているのがわかり、びっくりした。
あの時の...アレだ。って、そのとき、初めてわかったの。
「すごく、痛かったんじゃないの?覚えていないの?治療しなかったんだね?」
そう言われて、それくらい大変な骨折だったんだって、そのときわかったの。
私..そのとき、涙も出てこなかったの。にかわ質で、頑丈に太くなり、変形した自分の骨みて。あまりのショックに。確かに、折れてたんですよ。ボキっと。ちょっぴりずれてくっついて。
「みっともないから、痛いと言うな、泣くな、苦しくても立て、もめごとになるから、母に言うな、加害者に謝れ。」
兄の言葉が、ぐるぐる頭の中をめぐって、混乱した。
私の兄は、覚えているのだろうか、この出来事。
兄には、絶対に忘れて欲しくない。
できれば、謝罪して欲しい。
絶対に、彼はそんことを、認めないだろうけど。
マイアミから帰国してから、受けたBBSHのエネルギー・ワークを通じて、
新たな心の傷が、表面化され、その時間の中に座っているわけだけど、
今ね、私の体が、カウンセリングを受けて以来、傷と向き合う準備ができたようで、
骨の記憶を思い出していて、おとといは、左肋骨、昨日は、右肋骨。骨と筋膜がとても痛くて、息ができなっかった。ロルフイングという治療を、聴いたことがあるのだけれど、
どこかにいい先生いないかな。
私ね、首にも、あるの。こういう痛みのトラウマ。
このさいだから、ゆっくりと、心と体を、トータルに治療してみたい。
今日は、久しぶりに晴れて、気持ちよかったね。
落ち込んだ気持ちを、太陽に当て、海水に足を浸し、自分をチャージをしました。
ほんとうに、長い、長い旅になるな。心の旅。