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2008年6月25日

●私の旅だもの

 
自分の書いた日記が、たくさんの心に触れていることを知りました。
でね、これはお返事しなきゃと思い、昼間から書いているんだけど。

この日記は、あくまでも、私のプロセス記録として設けているコーナーなので、皆さんに、苦い胃液を、一緒に飲んでくれ〜その感想を書いてくれ〜などということも、全く要求しませんから、安心してください。

 でもね、同情してくださる人がいたとしたら、それもうれしいです。
私、ほんとうに、同情されたいですもん。
「大変だったね」って。「ひどい話だね」って、一緒に言ってくれる人が、ずっと欲しかったもん。それは、いけないことかな?

 個人のプロセスは、たくさんの人に、同時にプロセスを起こさせるエネルギーを持つことは確かです。
 学校でも、こういう時間をたくさん授業でやります。
 誰かのプロセスをもとに、自分の体や心にどんな変化が起るか。そして、そのエネルギーって、人のエネルギーにも、大きな影響を与えるんだなと、皆さんの真摯な書き込みを読みながら、今、私自身が、影響を受けています。
どんな人の話も、その力を持っています。

私は、クライアントの方々のプロセスから、どれくらい学びを得たことか。

大人になって、セラピストになって、自分と向き合うことを、一生していくことが義務づけられて、ようやく表面化できるようになった感情の数々。
(逆に、私がクライアントだったら、このプロセスを自ら日々体験しているセラピストを選びたい。)

昨日の、日記を書き終わったあと、肋骨の持ち主である私に、「ようやく気がついてくれたの?もういちど、最初から痛がっていい?」
そう、言っているようでした。
骨の痛みがあるから、咳とたんが出たいのに痛くて出せない、冷や汗が止まらない。眠れなかった。
ロルフィングの情報も、たくさんの方々からいただきました。
本当に、ありがとうございます。

「許すはよし,,」ふむ〜。
この言葉を書き残した偉い人は、ここまで、人生を達観するのに、どんなに大変なプロセスを体験してきたことでしよう。私は、このえらい人の、プロセスに興味があるな。どのようにして、ここに至ったのか。
 美しく、濾過されて残った言葉よりも、そこに至までの生き方に、とても興味がある。え?変かな?私。

人間の本能として、感じないようにしてきた、痛みや感情を感じる、というあたりまえの練習あたりで、神様、お願い、もう少し、私をうろうろさせてください。
まわりの景色も見たいし。

 痛い体験を、紙から切り取って、ポイって捨てられるように、無かったことにできたら、本当にいいのにね。

 戦争もそうだけど、肉親や他人から受けた、心や身体的な虐待を、癒しを得ずに、忘れることができるだろうか?
 
 私は、人を許せる準備ができるまでには、時には、膨大な癒しの時間を与えられる必要があると思っている。
 孫子の代まで癒しの時間を必要とすることだってある。

 「今は、許せなくてもいいよ」と、まずは、相手を許せない気持ちを正直に感じることを、自分に許してから癒しが始まるようにも思う。
 だって、とっても痛かったんだもん。

  そして、もうひとつ、私は、「家族を憎む権利」を主張しているのではない。
でもね、たとえ、主張していたとしても、それは、何故いけないのかな?
私は、家族を、恨んでいるのでもない。「そんなことされて、悲しかったよ。」「悔しかったよ」「痛かったよ」と、言っているの。
 そういう意味では、「痛かったよ」と、当然感じてもよいし、そう言ってもよいという人間の尊厳をもっている。
 
 それが、過去のこと、昔のことであろうが、関係がない。
今、その人は、その人の人生の中で、無いことになんかできないんだから。
 そうそう、過去生催眠では、現世における痛みが、何代も前の体験からきていることだってある。

 私は、クライアントにも絶対に言わない。
「そんな昔のこと、早く忘れなさい」「許しなさい、楽になるよ」などど。

そして、今ある、本当の感情と、自分を切り離さないでと伝えます。

本当の感情に罪悪感を感じたり、感じないようにしたり、自分を分離させたり、
そうすることによって、別の痛みが生じるから。

私は、人生の変容の旅の中で、痛みと向き合う自分を励ましたい。
 だって、私の旅だもの。

『許すはよし、忘れるはなおよし』えらい人の言葉...。

もしかしたら、今生では達成しないかも。
歌うために、何度でも、生まれ変わってきたいし。


●お兄ちゃん、覚えてる?私にしたこと。

このところ、ずっと、私自身のプロセス日記になっています。
いったい、過去に何があって、その記憶が今の私の人生において、どのような思い込みや、恐怖や、不安を作っているのか、今ようやく解決できる時が来たのだと思います。自分から逃げずに向き合ってみよう。
長い旅の途中です。
肋骨が痛い...

骨が痛みを記憶している..
これって、そういうことなのかな。
ロルフイングという治療があるでしよ?まさに、こういうこと?

私、小さい頃ね、住んでいたアパートの前で3つ上の兄とパレーボールをしていたの。
そこに、突然、自転車でつっこんできた私の同級生。
ハンドルが私のみずおちに入り、私は転倒...
そのまま息が出来なくなり、意識朦朧。痛みと、呼吸困難で、倒れたの。
そしたらね、私の兄は、こう言ったの。
「みっともない!バカヤロウ!立て!声を出して泣くな!すぐに立ち上がれ。」と。
そして、私を蹴った。
「うう、息ができない...苦しい。」
「そんなもん、関係ねえんだよ。バカ!みっともないから、痛くても声を出すな。」

これって、どういことなのかな?
痛くても、痛いと言うな。みっともないから、泣くな。
誰の都合?息もできない、痛いのに、それを、みっともないから、訴えることもするなというの?
助けてと、言ってはいけないということ?死んじゃうじゃん。私。

小さかった私に、選択は無く、兄の言葉に従うしかなかった。ぶたれると痛いから。
私ね、力ふりしぼって、兄の罵倒に従って立ち上がった。
泣いてもだめ、痛いと言ってもだめ。苦しいと言ってもだめ。

だいじょうぶか?とか、痛くないか?とか、医者にいくか?
とか、そういうことは、全く出てこないわけよ。
バカ!は出てくるのに。

自転車で正面から、私の体につっこんだ、その子は、あまりの事態に驚いて、
真っ青になって、泣いて家に帰ったの。

私は、意識朦朧のまま、たちあがった。
兄は、私を抱き起こすでもなく。私に、こう言ったの。
「おい。家に帰る前に、あの子の家に言って、自分が悪かったと、
誤ってこい。自分は、なんでもないと、おばさんに言ってこい。」

え?なんで?なんで?
息ができないし、空気が体に入ってこないし。
私は、被害者でなのに、
なんで、私が、謝らなきゃいけないの?

「いいから、言ってこい。めんどうなことになる前に。」
ねえ?めんどうって何?めんどうって何よ?
と、今なら、きけるのにね。
動けず、苦しそうに停止している私に、兄は、こう言ったの。

「いいから、いけよ。いかないと、ぶっとばすぞ。それにな、このこと、お母さんに絶対に言うなよ、バカ!」

お母さんに言うなって、兄は、何が、怖かったのかな。
私のことなんか、どうでもよかったわけ。

めんどうなことになることを避けられれば、私の体なんか、どうなってもよかったってことでしよ。

お兄ちゃん、一緒に来てよ、と、お願いしたけど、
「なんで、俺が行くんだよ。お前、ひとりでいけよ。わかったな。オレは、先に帰る。」
なんて人だろう?

私は、泣いて家に帰ったその子に、何を謝ったらいいのかわからなかった。
私は、全然、大丈夫じゃないのに、「あの..ゆうちゃんに伝えて下さい。私は大丈夫だから。心配かけて、ごめんなさい。」

突然、私が訪ねていったから、一階に住んでいる、その子のお母さんに、きょとんとされたまま、そして、それにも、どうしてよいのかわからなくて、私は泣きながら、3階の部屋に戻ったんだ。
痛みと、息ができないのと、この混乱した状況に思考停止したまま、
布団の中で、動物みたいにうずくまった。
ごはんの時間がきても、ふつうの顔で、普通に食べて、普通に眠ったんだっけ。

どうして、私が、謝らなければならないの?おかしいでしよ?
でもね、その時は、兄の変な命令に従うしかなかった幼い自分がいたの。

その後、とにかく、2か月は、痛くても痛いと言ったらいけないという決意で、
痛くても、呼吸困難でも、母に知られてはいけなくて、体育を休むことなく、
普通の顔をして過ごしたことだけ覚えているの。

今から、20年くらい前かな、ツアーでね、熊本のホテルに滞在したときのこと。
お風呂に入っているときに、すべって、右肋骨を折ったんだ、私。
救急車で運ばれ、翌日、飛行機でもどって、慶応病院でレントゲンをとった。
「佐藤さん、打ったのって、右ですよね。でもね、左が折れた後があるんだけど。
肋骨折った記憶ってある?」
医者に言われて、びっくりした。
そういえば、なんで、私の肋骨は左ばかり大きいのだろうと、思っていた。
レントゲン写真をみたら、折れたところが、太くなっているのがわかり、びっくりした。
あの時の...アレだ。って、そのとき、初めてわかったの。

「すごく、痛かったんじゃないの?覚えていないの?治療しなかったんだね?」
そう言われて、それくらい大変な骨折だったんだって、そのときわかったの。

私..そのとき、涙も出てこなかったの。にかわ質で、頑丈に太くなり、変形した自分の骨みて。あまりのショックに。確かに、折れてたんですよ。ボキっと。ちょっぴりずれてくっついて。

「みっともないから、痛いと言うな、泣くな、苦しくても立て、もめごとになるから、母に言うな、加害者に謝れ。」

兄の言葉が、ぐるぐる頭の中をめぐって、混乱した。
私の兄は、覚えているのだろうか、この出来事。
兄には、絶対に忘れて欲しくない。
できれば、謝罪して欲しい。
絶対に、彼はそんことを、認めないだろうけど。

マイアミから帰国してから、受けたBBSHのエネルギー・ワークを通じて、
新たな心の傷が、表面化され、その時間の中に座っているわけだけど、
今ね、私の体が、カウンセリングを受けて以来、傷と向き合う準備ができたようで、
骨の記憶を思い出していて、おとといは、左肋骨、昨日は、右肋骨。骨と筋膜がとても痛くて、息ができなっかった。ロルフイングという治療を、聴いたことがあるのだけれど、
どこかにいい先生いないかな。
 私ね、首にも、あるの。こういう痛みのトラウマ。
このさいだから、ゆっくりと、心と体を、トータルに治療してみたい。

今日は、久しぶりに晴れて、気持ちよかったね。
落ち込んだ気持ちを、太陽に当て、海水に足を浸し、自分をチャージをしました。

ほんとうに、長い、長い旅になるな。心の旅。