●無意識を信じたい
今年、日本から2人の新入生が入ったの!
うれしなな!
謙虚で、純粋で、とても素敵なふたり!
日本にこの大学ができたのに、遠いマイアミまで来ることを選んだ勇気のある人たち。
全てが不安だった、3年前のことを思い出した。
言葉のこと。
孤立して見えたくないなと思いながら、言葉が不自由で、その時はまだクラスメートと深く関われていないように感じた、人間関係。
シエアの時間に何も発言できないもどかしさ。言いたいことはとてもたくさんあるのに。
彼女たちを見ていると、そんなヒヨヒヨだった自分を思い出す。
だから、一年生を、応援したくなる。
「大丈夫だからね」って。
先輩たちに、そう言われてうれしかったことを、彼女たちに伝えていきたい。
私は、入学当時、書類の行き違いが何度も続いて、
入学をなかなか受理されなかったこともあり、
途中であきらめようかとおもったくらいのアクシデントが続いたの。
しかも!?
成田出発の日、飛行機のチケットの予約を間違えて、
出発できなくなりそうになったことや...。笑!
全てお試しだったような気がする。
行たら行ったで、全てが未知の世界。
想像を遥かに超えた精神的なワーク。
セラピスト養成の学校に行った時も思ったけど、
とにかく心のしくみを知りたかった。
その学びの中で、わかったことは、
相手を変えることはできない。と、あきらめたときから旅が始まったの。
自分が変わるしかないと。
自分を肯定すること。
それからは、自分自身の傷を見て行く日々。
痛かったし、苦しかったし、悲しかった。
でも、その痛みを感じられた分だけ、心が軽くなったの。
不思議だけど。
誰だって、痛いものは、感じたくない。
感じたくないと思ったとたん、感じることを私たちはやめちゃうの。
そこで、精神的な発酵が始まる。それって、悪臭を含むガスみたい。
自覚していないけど、出せないとたまるの。体に。オナラみたいにね。
私は、ずっとそんな嫌な人間だったの。
今も、そのプロセスは続いているのよ。
2000年だったかな。
服部女史が初めてヒプノセラピーを受け、その影響で私もセッションを受けたことが始まり。
その後、そこから送られてきた、セラピスト養成トレーニングの案内。
セラピストになりたい目的で通った学校ではなかったけど、
そこでの体験が私の人生を変えるきっかけになった。
今から思うと、その学校は、BBSHに行く前に必要な準備だったようにも思う。
私たちのハワイ人の先生がね、「ひとつのところで、全てが学べると思わなくていです」とよく言ってたの。
たいてい、先生と言われる人は「自分の教えが絶対!」と言うでしよ?
でもね、私が習った先生たちは、そういうことを言わなかったの。
そんな先生たちや、BBSHのことを、おしえてくれたヒプノの同級生のおかげで、
私は心地よく旅立つことができた。
セラピストになったことは、何か大きなWAVEの始まりなんだって今は思う。
BBSHはどんなふうに私の人生を導いてくれるのかな...。
クライアントの人たちが、なんらか体を壊しているケースに出会い、
それは何故なんだろう?と思ったの。
肝臓、腎臓、膵臓、甲状腺、運動障害などなど。
こちらにみえる方々の半分は体に何らかの異常を訴えていたの。
それについては、お医者様の領域。
私には何もできないけど、せめてそのしくみを知りたかった。
私が一番知っていること。28年歌い続けた音楽のこと。
なのにね...音楽の本質を自分が何も知らないことに今でも唖然としているわけ。
無意識でやっていることの不安さ,,,。
その無意識の素晴らしさを自分が信じられていないこと。
何故、音楽は、泣けるんだろう?とか、元気になるんだろう?とか。
なんで体にビリビリ来るんあだろうとか。
その謎が解けたら、お医者さんと一緒に人間の体を再構築していくことや、
人間の意識までも変えることができるのではないか?
社会の中で、音楽はなんらかの役割があるように思えたの。
残りの2年でつかめたらいいな。答えが。
私たちが入学した頃は、数人の日本人の4年生の先輩がまだいた頃で、
その先輩たちに本当に助けられた。
宿題のことや、翻訳した資料などを、たくさん受け渡された。
そのおかげで、私たちはなんとかやってこれたようなものでした。
誰かにしてもらってうれしかったことを、彼女たちにもしてあげたい。
そんな時、昨年、卒業生の先輩が言ってた言葉を思い出した。
「1年生、2年生は、3年生のための準備だったなあ。」と。
本当にそうだった。
Healingスキルはより厳密になり、先生たちから本当に細かく指導される。
そのように従うと、本当に、急に流れるエネルギーの具合や、
体の状態が変化するから、本当に不思議。
何が、見えているの?先生には?
バーバラや、その後を引き継ぐであろう、素晴らしい先生たちのエッセンスをたくさん吸収して、日本に帰ったら、たくさんの人たちに伝えてほしいと思う。