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2008年11月30日

●三宿中学・コミュニケーシヨン・セミナー

なんだかどたばたの一週間。
旅〜旅〜旅〜そしてようやく関東にもどり、昨日は出身校の三宿中学での、コミュケーションセミナーがありました。
70名ほどの参加者。中には生徒さんたちもいました。
70人という人数でも集まりはいいほどだという、当時私の同級生、現在写真家PTA会長のの陶山君。本当にご苦労様でした。

恩師の体育教師井田先生もかけつけてくださって、ほんとうにうれしかった。
私たちが中学生だった頃は、本当にいい時代だったんだなと、教頭先生や校長先生とお話しをしていると、つくづくわかる。
だって、夏休み...井田先生は用務員さんを休ませたいからと、ご自身から申し出て、学校に宿直していたことがあった。
その時、私たちは、「きもだめし」とか言って、井田先生を訪ねて、数人でギターを持っていったりして、夏の夜の学校に遊びにいったりしたこともあったの。
そんなこと、今の時代にありえないでしよ?
このいい時代を変えてしまったのは誰?あまり政治的な発言は控えたいものの...
現場で起こっていることのリアルな現実が、もっと上の人たちに伝わるといいのいいな。
 そんなふうに真剣につきあってくれる先生を裏切れない関係というのを、作っていたと思う。

 書類や企画書で教育現場は変わらない。
なぜなら..相手は人間ですから。
いっそのこと、日本の教育システムを作っている人たちが、教育現場に降りてきて、今起こっている教育現場の現状をリサーチしたら、その現実感を伴わない方針に振り回されている先生や子供達の混乱をすぐに改善できるのに...。もしくは現場のフィードバックがもっともっと上に伝わるといいのいね。

 私たちが今でも大好きな先生たちは、当時本気で私たちを叱ってくれたし、遊んでくれたし、話をきいてくれた。
その先生たちに共通していたのは、人間としての真実みなの。表面的なコミュニケーションではなく、
先生の人間臭さが、体温や声や表情を持って子供に伝わることなんだよ。

セミナーが終わって、三宿で先生や当時の同級生と飲みに行ったんだけど、
「佐藤は元気で、運動も頑張ってたけど..そういえば、どこか暗い表情があったな...君の中で何が起こっているのか..当時、気がついてあげられなかったことが、残念だった。」
と、最近の私の日記を読んで、当時、いつも明るく振る舞い、運動で頑張ってた私の家庭環境にそのようなことが起こっていたのかを想像できなかったという井田先生に言葉をかけてもらった...。
 今、そのような暖かい言葉をかけてもらっただけで、もう泣いてしまうところだった。

恩師とお酒が飲めるって...いいな。

 井田先生は、新島から来て、当時の新星中学の体育の先生になった。
ドラマに出てくるようなまっすぐな熱血先生。裏表が無かった。担任の先生ではなかったけど、印象深く、なんかつながってるような感じがしていた。
大人になって再会して、やはり同じことを思ったの。
都立松原高校でお世話になった体育の先生、樋口先生、益子先生。
全ての先生に共通する素晴らしさ。
私は、彼らをめざして学校の先生になろうって思ったんだもん。
私には忘れられない体育の先生、人生のお手本でした。




2008年11月28日

●帯広のプライベート・ライブ


小春日和の(春ではないけど)葉山からマイナス4度の帯広へ。
主催者のみほちゃん&きむねえ〜喉の乾燥や体調にも気を使ってくださり本当にありがとう!
音楽を聴きにきてくださった皆さん、私のつたないピアノやギターを、
暖かく楽しんでくださり感謝!

実行委員2人という最小チームながら、たくさんの幅広いお客様をたくさん集客してくださり、本当に素晴らしいライブがまた実現しました。
いろんなところに頭を下げてくれたりして、本当に大変だったと思う。
皆、仕事を持っていて、毎日忙しいはずなのに。
4年ぶり?なの?とは思えない帯広...そんなに時間がたったかな?

そして、いつもの仲間たちが受付やお客様の御案内のお手伝いをしてくださり、
頭が下がる思い。
本当にありがとうござました。
企業の方から、地元の議員さんまで、なんて皆顔が広いの?
懐かしい昭和の私を育ててくれた歌なども弾き語りでやってみたりしました。
帰り際、皆さん笑顔で声をかけてくださり、うれしかった一方で、
ソロという自分の無力さを、ひよひよと反省もしており、
ミストーンやミスコードに、私かなり自信も失っていたのに。
「ごめんなさい...みんな...」な気持ちでいっぱい。

本当に、自分は小さな人間なんだとあらためて思いました。
笹子さんをはじめ、みなさんに支えられ自分がのびのび歌っていられることを、
感謝せずにはいられない、そんな一日。
「助けて〜〜ピアノじゃ弾けないよ〜〜〜うふふふ!難しすぎて。」
と、コメントして、チャレンジしたオリジナル・コードアレンジのピアノ弾き語り!
案の定、間違えまくり!
そしたら、地元の企業『仏壇屋さん』グループが「こりや、EPO~もっとピアノ練習したほうがいいな!」って、愛あるコメントに会場爆笑...。
うれしかった...誰もそんな風に言ってくれる人いないもの。
だってほんとうにそうなんだもん...
もっと自分に時間を作らないと...。ありがと!仏壇屋さん!

おかげで、そのコメントに皆に暖かく笑われて実は私は本当に救われた。
脇の下...びっしょり...いつかの大失敗、頭真っ白『晴れ豆』のときみたい。

不思議だね.弱音をはくと、皆に助けてもらえた瞬間。
年に一度は体験する必要があるんだな...きっと。
「ひとりじゃないんだよ」って感じるために。

「初めてのライブの時はさすがプロ!て感じがしたけど、なんか、今日のEPOさん..
そういうEPOさんも、親近感がすごくあって、かわいかった...。」
みほちゃん〜〜ありがとう。そんなふうに言ってもらえて、ようやく気持ちが楽になった。
もう、自分に全く余裕がなくて、最後に弱音はくしかなかった...昨日のライブ。

AQUA NOMEの中のMという作品もギターで演奏したんだけどね、...十勝の大地にとてもぴったりと聴き、不思議な気持ち。うれしい。

来年の夏に北海道ツアーを予定している『MUSIC&DRAMA〜うたいかたり』の一部も、
札幌に続き、皆さんに体験していただき、宮川雅彦さんの語りも大絶賛。
彼の語りに、泣いてる人がたくさんいた。
『光になった馬』絶品でしたね。
思わず、私も、もらい泣き。

役者の言葉も音楽..だなと、本当に思う。

そうそう、12/4日のSTB139!新曲発表も数曲あるので楽しみにしていてね。
それと、『MUSIC&DRAMA〜うたいかたり』の一部もご紹介する予定です。


だって私が知ってる海にも合う。





2008年11月26日

●旅から旅へ

 また、長岡にいきました。なんだか、新潟づいてる。
アグリのライブがありました。5月のりゅうとぴあ以来かな?楽しかった〜。
 
 今週はほんとうに旅の毎日。仙台日帰りで、翌日長岡でライブ、午後葉山にもどってきて、また明日は帯広だもの。
 翌日は、土曜日に行われる私の出身中学でもある三宿中学(旧 新制中学)での講演の準備。なんだか本当に師走だな。
 eponica44号のゲラのチエックもしないとね。そして一日休んだら、もうSTBのリハーサル。
 頭の中も背中も首もぱんぱん。ゆっくり近所の温泉にも行きたいにゃん。
せめて2日間だけ続けてお休みがとれると少し楽なんだけどな...。
でも、葉山にいたら、いたでやっぱり絶対仕事しちゃうしな。治したいな。この性分。

今日ね、もどってきて、海岸を散歩したの。
ポカポカと気持ちがよかった。

山の気と海の気がまじりあって、いい風が吹いていた。
しばらくコンクリートに座って海をみた。
やっぱり葉山は少し暖かいかな...東京よりも。

きれいな桜貝も拾った。
桜貝を見るといつも思う。こんな爪だったらいいのになって。

明日はソロで帯広です。
ピアノやギターで、できる限りいろんな作品をお送りしたいと思っています。
先日STBでセンチメンタル・シティー・ロマンスの皆さんと演奏した、
20代の頃の作品ライブ、『私の好きなEPO』リストの中からも歌いますので、期待しててくださいませね。






皆さん是非、いらしてくださいね。






2008年11月23日

●毎日でもいたいな。ここに。


明徳高校の先生、そして生徒さんから、たくさんの暖かいメッセージをいただきました。
みなさん、本当にありがとうございました。

新潟県・長岡市からもどり、休む間もなくRecordingに突入。
久しぶりにものすごく楽しかった!
私の頭の中に設置されてるスーパーコンピューターはいつものように、
怒濤のようなハーモニーの旋律をはじき出し、次から次へとフレーズを送りだすので、
忘れないうちにレコーディングしておかなければならない。
「もっとゆっくり送ってくれよ〜」と言いたいけれど、相手は待ってはくれない。

そう.,私の、バッキング・ヴォーカルのレコーディングには、
譜面が無いのだ。やりながら、次のフレーズがすぐに伝達され、
進んでいくから、フレーズに迷う時間はあまりとらない方かもしれないな。

浮かんできたら、すぐトラックに入れておく。
気がすんだら、やりかけていたもとのフレーズにもどる。
そんな感じ。ジャストなリズムではなく有機的なリズムだからPCでの編集のしようがない。
そうなると、ひとりで、歌わなければならない回数は何十トラックにも及ぶ。
なのに、楽しいのは何故??私音楽の中心にいたよ!昨日。
午後2時にスタートしたワークが一段落したのは、5:00。
私は夢中で歌い続けるけれど、エンジニアの手塚さんやプロデューサーの篠崎さんはきっとたまんなかっただろうな...。ごめんなさいね。
その間にお弁当を頼んで、次の作品に突入。
不思議です、好きなことをしてる時には、時間があっと言う間。

しかし、この作業に関わってくれるスタッフは、本当に尋常ではない忍耐力と、
体力と、想像力が必要だろうと思う。
なぜなら...次に何を私がやるかは、誰にもわかっていない。
全て私の頭の中。そしてスルスルと降りてくる音を、次から次に、
形にするしかないのだ。

そうすると、見えてくるの。神殿が。音楽の神殿が。
今やっている作業というのは、そういうことなんだなって思ったの。
今日になって。

その作業が、本当に幸せで、楽しくて。
あ〜あ、毎日でもいたいな。自分の音の中心に。












2008年11月21日

●長岡明徳高校で歌った

昨日、長岡明徳高校で歌ってきました。そのことを、夕べ、日記に書いたんだけう〜ん、消えちゃったのかなあ。もう一度、書きますね。それよりも早く、先生や生徒さんから投稿をいただき、すごくうれしかったです。

 長岡で初雪を見ました。当日は、雷が鳴るほどのドシャ雪。電車のダイヤも乱れてるときき、生徒さんたちが無事にたどりつけるか心配でした。どの学校のライブでも、先生たちがいつも心配するのは、ノリのことや、お行儀のこと。でも、そういうことは、授業の一環としてのライブには、まったく関係ないのです。ノリがよいからとか、静かだからとかで、私たちの音楽の内容や、気持ちは全く影響されないの。明徳高校の方々は、とても繊細でデリケートな空気を持っていた。その中で、私たちは「本当に伝えたいこと」ということを音楽で集中させることができたように思いました。真剣に聴いてくれる皆に、恥ずかしくない私たちでいたいと、思った。お話しも、音楽も、生徒さんたちに吸い込まれていくようだった。

 私が子供のころ、私の周りにいた大人というのは、学校の先生か、両親しかいなかったのね。だから、我が家がどんなに異常な家庭環境であるかを比べることもできなくて、それが普通なんだって思ってた。でもなんでこんなに悲しくなるんだろう、とか、辛くなるんだろうとか、毎日不安でいっぱいなんだろうとか、その気持ちを誰にも離すことができなかったのは、「皆の家も、きっと同じなんだろうな」って、思っていたから。

 異常なことがあたりまえな家だから、変だと思っていなかったの。でももしも、あの時、私の周りに、自分が感じていることを普通に話せる大人や、先生がいて、「それって、変だよ?我慢しなくていいよ」って、言ってもらえたら、どんなにか、自分が楽だっただろうと思うの。学校ライブで歌いながら、お話しをしながら、実は、私もあの頃の自分に寄り添っている。自分が誰かにして欲しかったことを、自分のためにしているような気がする。

 そうそう、皆さん、自分に手紙書いてみてね。未来に起こって欲しいことだけ、あたかも夢を実現させたかのような現在進行形で、「その夢が誰にとってもよいこと」というエコロジカルなものであれば、必ず、周囲からのサポートが得られるように、宇宙エネルギーは働いてくれるらしいよ。

 

 


2008年11月19日

●言葉の矢、痛いね。

 BBSHの宿題を終えてさっき、沖縄の浦添にある通称部室と呼ばれてる、三角屋に集まる仲間に電話したの。一時過ぎだったけど、皆がいた!仲良したちの声が聴けてよかったな。

 そういえば、先日の桜坂で行われたアサイラムイベントでのMUSIC&DRAMA。
本番あとで時計を見たら、20分という短い時間だったのだけれど、
ぐぐっとエネルギーの詰まった内容だったようで、その後も、たくさんの方々から感動や、暖かい感想をいただき、すごくうれしかったです。
 中には、うれしい感想ばかりではなく、一通、見逃せない内容のものがあった。
 
 あなたにも、私たちにもチョイスがあることを忘れないで欲しい。
あなたが、私たちを選ばなくても、私たちはあなたを嫌いにならない。

 物事の解釈、感じ方というのは、人それぞれです。
その人が今まで体験してきた何かに、どのように触れるかで、反応はそれぞれ。
好きな歌、嫌いな歌。好きな言葉、嫌いな言葉。
なんでもない瞬間に、急に感情が高ぶること。私にもある。

 気持ちよく泣けたり、感動したり、もしくは、怒りになったり。
みんな違って、みんないいのだけれど。
 ひとつ言っておきたい。

 もの作りはね、自分の体の羽を抜いて、それを反物にするように、いつでも神様の声とずれていないかを確認しながら、一緒に作品を作るの。
 だからお金をいただくの。
 
 それは、表現者の痛みから生まれることの方が多い。
お墓参りをするような気持ちで、亡くなった方へ花をたむけるような気持ちで生まれる歌もある。新曲の『こどもの国』はまさにそういう作品。
 私は、基本的に私は、生まれてきたら、生きなければならないと思っているの。
それぞれの設計図どうりにね。設計図どうりだったら、それはOKなのだとも思う。
その設計図は、生きている私たちには知らされないことの方が多いけど。
 
 だから、私の音楽の避難所に、火をつけて燃やすようなことは止めて欲しい。
なぜなら、音楽や芝居は、誰かを傷つけようとする意図で生まれてはいないから。

 文学座、こまつ座出身、劇団ぶてばのメンバーだった演出&俳優の宮川さんがね、
ある人のメッセージを読んでイラっとしてる私にこう言ったの。

 「う〜んMUSIC&DRAMAは、僕が思うに、本当に芝居の世界に近づいてきたんだなって、思った。個人の解釈がこうも広がる力を持っているということだから。これが、本来、芝居が持つ力だ。でも怒ろうぜ!このメール!頭にきた!」
 
 ものわかりのよい、寛容を装う、いい人を止めた私に共感してくれた。

 ほんとうにいい奴だよ!うさちゃん!
自分で芝居を作るときも、いろんなお客さんがいて、お客さんが勝手に解釈して、いろんなこと言われたと、そんな話も聴いたことがある。
 
 へこむよ。私たちも、人間だから。

私たちの音楽や芝居は、誰かを傷つけようとする意図で生まれない。
これは真実。




2008年11月17日

●那覇・桜坂・アサイラム・イベント

11年前を思い出しました。私たちの音楽が道から始まった、あの日。
壷屋まちぐわ・ピース・ラブ・ジャズフェスティバル!
ある時からなんとなく、そのお祭りが無くなってしまい、私たちは那覇の公設市場で歌う機会が、ぱったり無くなってしまった。
道で歌い音楽を演奏する勇気をたくさんもらった、那覇の商店街。
その後、その体験を生かし、それぞれの活動の場に私たちは散らばったけど、
その時の経験は今の音楽活動に大きく生かされていると思うの。

アサイラム・イベント!
形を変えて、この一画が音楽のあふれる場となりました。

桜坂入り口で、宮城県・白石市のカフェ・ミルトンのマスターが、レコードを回してDJ!
ジルベルト・ジルや、ジャバンが通りいっぱいに流れてた!
あんなに生き生きしたマスターを見たのは初めてかもしれないな。
長い付き合いだけど。素敵だった!カイピリーニャを振る舞うミルトン・ママも、
「そう、マスターはあんな風にして、私のたくさんの音楽を聴かせてくれたの。
あのマスターが、出会った頃の彼なの!」と、目がハートなのもよかったな。

な〜んか、皆が、それぞれの音楽の中心にいた。
アーティストも、お客様も。

最も安全な場所...自分の中心。
そう、音楽は私たちの心の避難所。
その避難所を作るアーティストの人たちも私にとって、とても安全な人たちだった。

私は、この日、宮川さんとMUSIC&DRAMAで出演。
宮川さんの語りに、泣いてる人もいっぱいいた。
人の語る声もエネルギーなんだな〜と、改めて思った。
そうそう!来年の4/4日 那覇桜坂ホールBで、『MUSIC&DRAMA〜歌い語り』
いよいよ公演決定しました。

皆さん、是非、いらしてくださいね。











2008年11月13日

●『妖怪探訪(ようかいたんぼう)〜佐渡のムジナ編〜」


来年は、いろんな場所での笹子さん&亮さんとのライブのプレゼンが始まってます。
今日は、なんだかライブの問い合わせが殺到...
うれしいなな一日でした。

決まるといいな〜。

さて、パーカッションの渡辺亮さんの魅力!
ライブに足を運ばれている方々はもう感じていらっしゃると思いますが、
彼は、私のeponicaでも妖怪のコーナーを連載してくださってるほどの妖怪博士。
秋元カヲルさんとのユニット『南方幻想』の素晴らしさも見る人、聴く人を魅了してきました。

その彼が、佐渡弁語り部の本間よしえさんとの出会いから、今回新潟で パーカッション、三味線と笛、語りのコラボレーションによる「妖怪探訪(ようかいたんぼう)〜佐渡のムジナ編〜」という妖怪ライブをやることになりました。

 佐渡に伝わるムジナ(たぬき)のユニークで奥深い話を佐渡弁語りの本間よしえが語り、笛、津軽三味線の木村俊介、妖怪大好きパーカッショニスト渡辺亮が熱演する「ムジナ・トリオ」。
日時:12月8日(月)開場18時 開演18時30分 会場:燕喜館(えんきかん)の奥座敷 新潟市中央区一番掘り通 白山公園の中にある 日本屋敷です。 チケット:前売り2000円 当日2500円 

 これは、私が新潟でお招きいただいている『来てくんなせいや』のメンバー宮尾さんが
応援しているこのライブのためのコメントです。

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 新潟にはとんと昔、が多くあります。
佐渡にはムジナを題材にした昔話がたくさんあるそうです。私も小さい頃祖母のとんと昔が大好きでした。とんと昔を聴きながら想像している映像がいつの間にか眠りの夢へと変わっていました。毎晩同じ話を聞いても飽きないとんと昔。空想の世界で遊ぶための儀式のように聞いていた。新潟には子どもたちの創造力を養ってきたそんな昔話の文化があるように思います。
 この度、ムジナ話と音楽が融合する新しい形のエンターテイメントが新潟から発信されます。
ぜひ、新潟初公開のまか不思議ライブを一緒に楽しみましょう!
お問い合わせやチケットの申し込みは宮尾浩史(みやお ひろふみ)まで。
tel/fax 025-386-2604ケータイ 090-6685-4668
e-mail:miyaoh@lilac.plala.or.jp ケータイメール:miyao-fam@h.vodafone.ne.jp http://www15.plala.or.jp/miyaonouen/index.html
渡辺亮さんのホームページ「妖怪探訪」も是非ご覧ください http://www.ryo-watanabe.com
またチケットやチラシは阿部幸恵さん、高橋郁丸さん、佐藤裕美さん、坂牧光恵さん、中野久美子さん、五十嵐浩さん、星野真人さん、神田弘樹さんも持っています。お近くの方は是非お声かけください。


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本当に〜〜素晴らしいライブですよ!秋の夜長...妖怪話を聴きながら過ごしてみませんか?是非みなさんいらしてくださいね。

私は、沖縄のキジムナに会いに来ています。
11/15日 アサイラム@桜坂劇場 30分ほどのライブです。

いろんなアーティストの人たちと、会えるのも楽しみ!





2008年11月 8日

●国府弘子さん『ひとりでできるかな』LIVE

STB139で、昨日、国府さんのLIVEがありました。
ピアノ一本!ソロ!ピアノの音の中に全てがありました。
ピヨコ・バンドの演奏も、もちろん素敵です!
そして、同時にね、ピヨコひとりソロライブは私にとってパーフェクトだった。

彼女の鍵盤からポン〜っと音が出た瞬間に空気が変わる。
特に前半のメニユーは、体と心に響いた。
前にお話したことがあったかと思うんだけど、私ね、心地のよい音楽は、自分の腕と胸のあたりに響くの。
血管を流れる血が音と連動して拡張したり収縮したりしてリズムを刻むの。
昨日、私の体はずっとそうなってた。ブン〜ブン〜って。
血管が、どくん、どくんと鳴るの。

逆に怖い音とか、乱暴で大きな人の声とかは、みずおちや、お腹の下のあたりが、ズキンとする。

あれ、本当に不思議。

昨日は、昼間から、原稿書いたり、処理中の仕事や用事がたくさんあったのに、一日ものすごいアレルギー性鼻炎で、頭がぼう〜...鼻水ジョーで、
一日全く集中力が無かったの。

なのに、六本木に着くことろから気持ちはうきうき。
久しぶりにお客様になって、おいしいごはんを食べながらいつもの友人たちと、
音楽を楽しんだ!少しずつ、鼻炎は収まって、ピヨコの曲を聴くたびに、すごく元気になった。

曲が終わるごとに、鍵盤から手を離す瞬間...余韻の音が消えるまで、その音はピヨコの細くて長い指で、丁寧に扱われ、空間に消えていくの...
すごく奇麗だった。

エネルギーが目で見えたような気がした。

『アカショービン』という石垣島で聴いたという鳥の鳴き声を、
曲にした作品があるんだけど、私ね、泣いた。
なんで、泣けたのかっていうと、曲のエネルギーが私を地球上のあらゆる動物が住む場所に連れ回してくれて、一瞬、世界旅行しちゃったの。
自然との調和の中で、普通に生きている動物、植物、虫、ありとあらゆる生き物に対する、
尊敬や愛や神様みたいな存在や、そういうものを感じた瞬間...
ピヨコがその曲に合わせて、小さな声で歌ってたのね...
素朴で飾り気がなくて無邪気な歌声。そしたら、どわ〜っと涙が出た。
Healingだよ!まさに!これって!

あ〜人間が生きていることも、そんなサイクルの中にいるのに、私たちはこの奇跡をどうして当たり前のこととして見過ごしているのだろう...と、
そんなことを思ってしまった。
私たちが、生きていることそのものが、実は、地球上の全ての生き物に感動するのと同じく美しいことなのに。と。

第7レベルに響く曲だった。
自分は宇宙の中の一員であるとともに、自分はその宇宙そのものであるという、そんな感覚を呼び覚ましてくれる曲だった。

葉山に帰る車の中で、涙が出てきた。
もっと、もっと音楽の中にいたいって。

いればいいのに。
誰もそれを止めてはいないのに。

心のどこかで、音楽ばかりやってると、人間として社会人としてダメな人になりそうな、
そんな不安が常にある。
起きて欲しくないことを自分に想像してる自分がいる。
なんて意味のないことをやってるんだ...私は。

何故、大好きなことを後回しにするの?
何故ピアノに触らないの?ギターを練習しないの?
本当は、ごはんなんか食べなくても、ずっと曲書いていたいのに...
何故、自分に制限を強いてるの?
あふれる想像力を止めるなよ!私!音楽こそ、それが私なのに。

「そういうことは、やるべきことをやってからしなさい!」
止めたい!模範的、正しい人でいようとすること!そうでなきゃ愛されないと、
思い込むこと。

私のやるべきことは、歌うこと、音楽の中に生きることなのに。

来週から『AQUA NOME』のジャケット打ち合わせが始まる。
いよいよ動き出す。










2008年11月 5日

●はじまりは山形、「いつもの場所」から。

私も本当に苦労した。
音楽業界におけるスタッフの不正やアクシデント。
ロンドンから帰ってきたら、
いつのまに?その事務所はどこかに消えちゃった!?笑!
バブル時期は、そんなことばっかりね。

そう..そんなとき、「百年の孤独」は生まれたの。

私の仕事を引き継いだ当時の事務所に、突然、山形の、とあるカフェからプライベートライブの依頼が来たの。山形にある「いつもの場所」というカフェ。

 その時、もうひとつの自分が動き出した。
夢は現実の土台に乗っているんだって肌身で感じたくて、「やってみたい!」って申し出た。
マネージャーは「そんな小さなところで、イメージが悪いよ!」と、その場所も、主催者のことも知らないくせに、猛反対。
 変なことだなって思ったの。知らないのに、そんなこと言うなんて。
それまで自分の生活を全て管理されていた私が、初めて、自分の責任のもとに、プライベートライブをやり始めた。
普通のことを、普通にやって、普通に泣いたり感動したりしている主催者から、
私は基本的なアーテストとしての喜びを教えられた。小さな、小さな場所だったけど。
今でも、覚えているその感動。
 
今日ね...
私の事務所をサポートしてくれる、もうひとつの会社のプロデューサーの女性と、
来年の活動について、お話しをしていたの。
「等身大でいきましよう!等身大で、音楽の種をまきましよう!」って。
そこには、誇大広告も無く、大きすぎる夢も無いけれど、
現実的に私たちが把握できる夢があった。
全国の公共施設にこれから企画書を送るつもり。
MUSIC&DRAMAがお送りするカウンセリング&Healing的な要素を持つ演劇&音楽のパフォーマンス!
アクアノームのライブ!
そして土日で企画する、私の好きなEPO~パパ&ママ&私!のための昼下がりライブ!
う〜〜ん、夢は広がる!


それで十分。それで最高!










2008年11月 1日

●丁寧な生き方

 10/30日にセンチメンタル・シティー・ロマンスの35年記念ライブが渋谷クワトロでありました。

 私は、カウンセリングの仕事があったりして、後半にやっと間に合ったのですが、その時点で、すごい人!人!人!一般のお客様はもちろんですが、なんとなくどこかで見たことのある感じのする業界の人たちや、アーティストの人たちが、たくさん来てた!そして、ものすごい熱気。


 私も懐かしい人たちにたくさん会った!

ニッポン放送の『たむたむタイム』や、『ライオンフォークヴィレッジ』のデイレクターをしていて、当時私たちのバンドを発掘してくれた藤井さんとは、何年ぶりの再会かしらん?

 しかし、素晴らしいバンドですよ。センチは。すごい人たちであると同時に、メンバーの人柄も最高。彼らの周りにはいつもほのぼのとした気持ちよさがあるの。

 そうそう!ゲストに小坂忠さんや、まりやさん&達郎さんもお忍びで登場!伊勢正三さん、最後に加藤登紀子さんまで!素晴らしい先輩たちが語るセンチとのエピソードも楽しかった。

 なんて素晴らしい35周年なんでしよう!?彼らが丁寧に生きて、丁寧に音楽活動をしてきた結果を、ステージに見たような気がしました。

 ライブ終了後、小腹がすいたので、友人4人と宮崎料理を食べにゆき、その後、打ち上げ会場へ向かったら、そこには昔一緒に仕事をしていた知り合いの人たちがたくさんいて、思わず話し込んでしまいました。

 

 私がデビューした当時の話だけど、「僕らは音楽をもっと丁寧に作っていたよね。そして丁寧に宣伝して丁寧に売った、アーティストも、スタッフも、僕らはいい音楽を作るんだって、真剣だった。」

いい時代だったんだな~。今は今で、皆真剣なのかもしれないけれど。でも、今の音楽業界は何かが違う。WICAを作っていたころから、時代が変わるのを感じてた。

 音楽業界の流れは少しずつ時代に向けて、進化したのか退化したのか、それとも全く異なるものに、変わってしまったのか私はよくわからない。世界的に、どんどんCDは売れなくなっているらしい。レコード会社もどんどん外資系になってる。

 だから、一度に予算を回収できる方向のものをアーティストは求められるし、回収できないと契約は打ち切り。

 儲かればいいの?音楽って?売れれば価値があるの?一年後には忘られてしまっても?

「はい!それでいいの。ビジネスはそういうもの。」その考えを否定しようとは思わないけど、

心を込めて丁寧に作った音楽は、時間をかけていつかたくさんの人たちに、長い間愛されていくことを私は信じているの。だから、これからはLIVEの力が試される。

 eponicaRecordは、そういう音楽を今後たくさんリリースしていきたい。

生きている人間がちゃんと楽器を取り扱って表現する音楽、CDでは再現できない空気感に価値をおきたいと思うの。

 LIVEの時代だよ!これからは!センチを聴いてもそう思った。

 

  AQUA NOMEのライブ盤の準備、いよいよ本格的に始まりました。海外リリースの準備もあって、

国内リリースは来年までのびそうですが、本当にいいものになりそうです。

 丁寧に時間をかけて作り上げた音楽だもの。丁寧に時間をかけてTDし、リリースするね。

だから、満足するテイクが集まるまで時間ががかかってるけど、みんな許してね。ごめんね。