●泣き虫365×48匹
泣き虫 365×48匹
彼らが私の体の中で鳴いている。
リンリンと えんえんと しくしくと
「ここから出して」と、叫んでいる
私の書く文章や音楽や歌の細胞はこの虫でできている
彼らの言葉は歌になって飛んでゆき、
ホタルのようにゆっくりと点滅しながら、
いっせいに外へと飛び出し、
どこかにとまると、鳴き出す。
たとえ、他人の虫の声を聴いた時でさえ、
この虫が鳴き出すと、私は泣く。
そして、思い出す。
この虫が自分の体の中に入っていたときの
痛みや悲しみを。
桜の季節に、桜を見ると、
亡くなった友人のことを思い出すみたいに。
そして、痛みや悲しみが体や心に再現される。
泣き虫にかじられた後の歯形は、
一生消えない。
私の中には、笑い虫も住んでいる。
彼らは無邪気でばかばかしいことを好む。
彼らの細胞からは、楽しい歌が生まれる。
この虫は、ときどき、いい虫のふりもして嘘つきな歌も歌う。
私は、これらの虫と共鳴しながら満ち行きていきたい。
そんな私らしい人生のフォーム、鋳型にそって生きて行きたい。
大きさも、ありようも、形状も、皆とは違うかもしれない。
人生をフレキシブルに楽しむためには、「べき」「あらねば」を、なるべく無くした方がいいなと思っている。
なぜなら、人間は自分が信じている「こうあるべき」を、なんらかの理由で生きることができなくなることが設計上含まれているからだ。
病気や、精神的な疲労で、自分が動けなくなったり、思うように人が動いてくれなかったり。
そうしたことにフラストレーションを感じはじめると、
「こうあるべき」を生きられない自分や、「こうあるべき」を生きてくれない相手を責め始める。
自分が自分と分離し、自分と他人が分離し、それこそ痛みを体験することになる。
アーティストという仕事が何故面白いかというと、「自分は何ものであるのか」を、
探す旅そのものが、仕事だからだ。
「泣かないこと」が仕事ではない。むしろ、その逆である。
「あなたにがっかりした」と、内輪でたたかれて、
害虫のようにつぶされて死んでいる私の虫。
虫は、確かに誰かの心にある転移感情をあおり、
その人のそばで力いっぱい大きな声で鳴いちゃったんだなと思った。
と同時に、誰かの懐の中に入って安心して眠っていたりもするのかな。