●安全第一
『本当はね』を書き始めたときから、私はNOという訓練をしている。
NO!ということを苦痛に感じるうちは、まだまだお試しはやってくる。
オフィスで宮川さんとこんな会話になった。
「ねえ?うさちゃんは、子供の頃から、ちゃんとNOって言ってた?」
「僕なんかはNOをいえるいい子だった。」
「NOを言えるいい子かあ...その発想、私の中になかったなあ。」
「それに、いい子じゃないと思われても平気だった。」
「でもさ、NOと言ったとき、何故NOなのか聴かれたらどうしようって思わなかった?」
「NOはNO。理由なんかいらない。だって、俺、嫌なんだもん。って、ただ言えばいいの。」
短い会話ではあったけど、うさちゃんにそういわれ、ハっとした。
人は、皆、自然にNOを言えてるんだ。
私には、子供の頃からNOという権利が与えられていないように感じていた。
皆は、休んでいてもいいけど、私は休んではいけない。
皆は幸せになってもいいけど、私は幸せになっちゃいけない。
皆は頑張んなくても責められないけど、私は頑張らないと責められる。
などという恐怖にいまも苛まれている。
万が一、休みが欲しいとき、もしくは提案された企画にNOを伝える時にも、
相手を納得させるための正当な理由がないと、本当の気持ちを伝えられないと思い、
そこに時間と苦痛のエネルギーを支払っている。
とても苦しかった。
CLASS5で、4年生と先生に感謝するセレモニーがあって、学年ごとになにかやらなきゃいけないんだけど、昨年は最後まで責任をとるデイレクターがいなかったために、一部音楽担当の私は何かをやりたい人のそれぞれのエネルギーの交通渋滞に巻き込まれ、大混乱した。
だから今年は誘われても参加しないって決めていた。
それでも、EIKOは、どのグループに入るの?とか、あなたとこの歌をデュエットしたいんだけど、アイディアくれない?と、あまり何も考えずに企画をもちかけてくる同級生がいて、単純にそれを断るのにものすごいエネルギーを使ってる自分がばかばかしくなった。
こっちの人は、けっこう適当に丸投げしてくるから、調子にのっていい人になると、
大仕事を引き受けることになる。だから、気をつけないといけない。笑!
結局、去年みたいに、私がVOICEのこととか、アレンジとか、オケとか作ることになるんだ...と、想像できただけで、気が重くなった。
私は、相手を納得させる正当な理由を探していて、
その理由探しに2日ももんもんと時間を使ったというのに。笑!
「ME!」「ME!」「ME!」という人たちが簡単に「NO!」「NO!」「NO!」といってるのを見たとき、私もやってみた!さわやかに、「NO!」
「ねえ?わたし、決めた。やらないよ。あなたとは歌わない。」(この時、ごめんね、は、いらない)
「OK!」にっこりと、それでおわり。あっけなく相手は引き下がった。
アメリカ人は、押しも強いが、そういうところは以外にさっぱりしていて、
拍子抜けした。
NOということで、自分の大切なコア・エッセンスを守ることは人間にとってとても大切なこと。
それこそが大きな理由であれば、他に何が理由になりえよう。
自分が大切にしている感情や直感やコア・エッセンスは常に安全な場所にあるべきだし、誰のものでも、それは、守られるべき聖域である。
そのコアを使って仕事をしている人間は、そこに対価が発生する。
だからこそ、自分で自分を大切に取り扱う必要がある。声も体も与えられた時間も。
安全第一である。