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2009年1月17日

●おでこ


 ピヨコの計らいで、思いがけず、BALIの人たちの民族衣装を着ることとなった。

うさちゃんには事前に話していたらしい。

「ぷ~、4時半くらいには部屋にいてね。」いったい何が起こるの?

 部屋に突然、ヘアメイクの人が来て、衣装を並べたかと思ったら、短い前髪に逆毛をたてられた。

「え~何が起こるの?」されるがまま。ここでも、サレンダー。

 流れに任せてみた。

額はあげられ、顔全体の髪の毛がひっつめられた。

 初めて見る自分の表情が新鮮だった。

 鏡の中に映る私は、別人。最初は違和感があったけど、なかなか気に入った。

沖縄のせっちゃんから、「epoちゃん~、どうしておでこをださないのお?きれいなのに?あんたは、おでこを出したら幸せになるよ~。」

 そう言われながら...なんだか、やけに女っぽく見える自分に嫌悪したりしていたのだけれど、有無を言わせず、着々とBALI人の女性に仕立て上げられる自分の顔。

 今まで気がつかなかった...自分の顔、おでこを上げると、少し大人っぽくみえるけど(大人だろ...十分今も..笑!)なかなか素敵!?


 子供の頃から、私は額を見せることを母に禁止されていたの。

なぜかなと思ってた。ずっと。ずっと。

「あんたの額はデコンと出ててみっともない。ふしだらな女に見えるから隠しなさい。」

 聴くとそんな答えが返ってきて、お風呂場で普通のハサミでバツンバツンと前髪、後ろ髪、散切りにされ、後ろはバリカンで剃られ、いつも、私の額は、眉毛のあたりで、散切りにされた髪の毛で隠されていた。すごく嫌だった。屈辱的だった。


 でも、子供ながらに思ったの。そっか...おでこを出すと私は不潔に見えるんだなって。

 それから、大人になっても、自分の額をいつも髪の毛で隠すことが多かった。

時々、おでこを上げたりすると、人からひやかされているような感じがして。

 子供の頃に言われたことなのに...不思議ね。

大人になっても、ずっとずっと心に残っている。

 母から聞こえてくる声は、私を様々な場面で行動や振る舞いに、無意味な制限を加えてきた。

 小さい頃の様々な体験は、今も全てにおいて私の思い込みになり、ものの考え方に大きな影響を与えている。

 ヒプノ(催眠療法)ではそういう心のプログラムを、望ましい形に変えていくことを目的としている。

 プロのセラピストになる前、4年かけて私はそういう自分のプログラムを変えてきたけれど、そんな今も、BBSHのヒーリングを通じて、私の中に根深く残っている心のプログラムをまだまだ点検中だ。

 そうだよね...48年もかけて作ってきた自分を10年ぐらいでリセットなんかできるわけはない。

 でも、確実に変わりつつある自分の人生は、私に幸せな時間をたくさん与えてくれているのは確か。


 母の要求に従うと、彼女は機嫌がよい。

「あ~永子ちゃん、かわいい~。」

「ふん。本当には思っていないくせに。」

彼女の言葉が本物でないことを子供の私は感じていた。

私がみっともない姿であることに、母が安心しているように思った。

子供の思いこみだから、真実はどうだったのかわからないけど...。

私は、もしかしたら、本当に、心のねじれた子供だったのかもしれない。


 私の家はそんなに裕福ではなかったから、洋裁の内職をしていた母は、生地屋で布を買い、服を作ってくれたけど..。

 それはたいてい、おばあさん色の、変な色の変な服で、子供の私は心から感謝できず、半べそをかきながら、その服を着て、首の後ろを「お初!」と男子に触られるんだろうなと、重い気持ちで学校に通った。

 ぎりぎりの生活費で、母は作ってくれたのだけれど...本当にごめんなさい。


 ハサミで、変な髪型にされたり、自分の好みでない色や形の服を着せられても、私は、愛されたい一心で必死だったな。そして、母の指示に従ったときのみ、

母の愛を得られていると思うことがとても苦しかった。

 

 きらびやかな民族衣装を来て、化粧をされ、女性らしく正装した自分の姿を見ながら、どこかで複雑な気持ちだった。

 もっと早く、私は女性に生まれたことを楽しむ権利に気がつくべきだったと。


 仕上がりを見に来たピヨコが、「プ~(私は彼女にこう呼ばれてる)、すごく奇麗!こんなに似合うなんて!」と、私を見るなり、感動して泣いた。


 帰国してから、私は毎日おでこを出している。

お化粧もしている。不思議、世界が明るく見える。


 基本的に、自分以外の女性が嫌いな私の母。

自分の娘が女性になるということに違和感があっのだろうな。

 もしも私が、母より不幸な女性だったら、きっと愛されたのだろうな。

思い返すと、私は、日々母の嫉妬の対象になってきたような気がしてならない。