●自分を許したい
自分を許したい
この学校に通うようになってから、
「あれは、なんでだったんだろう?」と、我が家の不思議、妙な我が家の暗黙の決まりごとをたくさん思い出すようになった。
我が家は「質問禁止」な家だった。
2歳くらいまでの私は、普通に好奇心で一杯だったと思うのだけれど、
言葉が話せるようになり、好奇心を会話の中で表現するようになってからかな。
あらゆる問いかけに返ってくる母の返事は、
「子供はそんなこと知らなくていい!」
「そんなことを知りたがるなんて、末恐ろしい子だね、あんたは。」
私は知りたがったことへの罪悪感と恥ずかしさで、心が破けそうになった。
本能から来る私の好奇心は、母にとって自分という脅かす嫌なものだったのかもしれない。
「そんなことも知らない親」と思われたくなかったのか、自分も持たない好奇心を持つ私に嫉妬したのかは、わからない。
家では、私の好奇心に限らず、「子供らしさ」「女の子」であったら普通のことも、母には受け入れられなかった。
子供の私の心が度重なるあまりのがっかりを体験しすぎたために、そうなっちゃったのかな。
私の母の日常には、人間としてそれ変だろ?というような、妙な行動がたくさんあった。
その行動の理由を知りたいけれど、また存在否定されて打ちのめされるのがオチだから、私は無意識に異常な出来事もスルーさせていく癖がついた。感じないと楽だから。
しかし、これはあまり精神的に健康的なことではない。
家では、私の好奇心は卑しいものだとされていたのに、
母は、他人の子供はよく褒めた。不満そうにしている私に、
「自分の子供を人様の前で褒める親がどこにいるのか」
私は、その時、人前で、母に褒めて欲しかったという期待を持った自分を心から、恥じ、
自分が嫌いになった。
その時の私の複雑な気持ちを母は楽しんでいるように、彼女の口元がニヤっとなったのを、今も覚えている。今でも、思い出すとゾクっとする、微笑みだ。
私の心の中に眠っている悲しみと怒り。
愛されるために、言葉の暴力も虐待も受け入れ、それは自分が悪かったからなのだと言い聞かせ、自分を邪悪な存在と感じるように思い込み、自分を恥じ、嫌悪してきた自分が憎い。
インナーチャイルドのワーク何度やっても、小さい頃の自分に心から優しい言葉をかけてあげられない問題を、早く楽にしたい。
私が、その子供の延長だということは、自分を恥じた自分自身を私はまだ許せていないということなのだ。
どうすれば、できるのかなあ...