2009年3月31日
2009年3月29日
●セラピストの仕事
次回のeponica45号『あの人に会いたい』で、BBSHマイアミ校の同級生である、友人のマッサージ・セラピスト小出安芸子さんと対談をしました。
彼女は私とうさちゃんの先生のような存在であり、彼女がいなかったらもしかして私たちは学校続いていないんじゃないかと思われるほど、助けてもらってる、体のエキスパート。
彼女は、もはや人がよくなることよりも、その人のコア・エッセンスを感じることの方に興味があるという。そのコアをいかに治療を通じて導きだすか...それが好きなんですって。
うん!これ、すごくわかる。高校時代、私が所属していた演劇部は、ほとんど男子がいなくて、他の部から男子をスカウトして芝居させたりしていたんだけど、
稽古をしているうちに、それまで、おとなしかったその男子が、芝居をさせるととたんにキラリンと輝き始め、「この人にはこういう素敵な面があったのか~」と、
なんだろう?恋愛とか、そういうことではなく、その人の本当の輝きに触れて幸せな気持ちになったようなそんな感じ。
最近、私は音楽療法を、セラピーに取り入れて施術をしているのだけれど、鬱状態で混沌としていた人が、このセッションの中では誰もがキラリンと輝くのだ。
「な~んだ!こんなに素敵な才能を持っていたのね!」と、これまたクライアントの人が見せてくれた歌や表現力の才能に感動している自分がいる。
おお~これがコア・エッセンスというものなのね。ひとつとして同じメロディーはなく、同じセッションはない。世界でたったひとつの音楽がそのセッションで生まれるのだ。
そんな音楽を使用したカウンセリングを通じて、気がついたことがあった。
AQUA NOMEのリハが何故楽しいかというと、私の乱暴なリクエストに、プロの音楽家が即座に反応し、コアを惜しげもなく提供してくれるところ。
元カボチャ商会の岩原智さんと初めてセッションした時のことは今でも忘れない。彼を私は、シトさんと呼んでいるのだけれど、「この音楽の中で聞こえてくる音の中で、自由に心の中から湧き起こるメロディーをBASSで弾いてみて!BASSらしいフレーズでなくてよから。何も聞こえてこなければ、お休みしてていいので。」と、伝えたら、あら?びっくり?驚くような自由度を伴う素晴らしいフレーズが飛び出した!おお~これがコアなんだよ!私は、実は、音楽の中で、人のコアに触れる体験を本当にたくさんさせてもらってきたんだなと思った。
私の周りには、コアを自然に見せてくれるひとたちが本当にたくさんいる。
光を伴う、創造性に満ちた人間の存在。その光に照らされて、私は生きているんだなと思った。
私の周りには太陽がいっぱい。
ひとりひとりのコア・エッセンスが輝くことによって、人間は幸せになるのね。
Healingもヒプノも、最終的には、セラピストの手柄なんかではなく、クライアントが自分のコアを通じて、いかに自分自身を体験し自分自身に感動してもらえるように励ますこと。それこそが、私たちの仕事なのかなと思うようになった。
2009年3月23日
●多忙な一週間
2009年3月11日
●『AQUA NOME』TDが終わり...
AQUA NOME トラック・ダウンが昨日終わった~!
残るは、マスタリングの作業。長い道のりだったな...。
エンジニアの手塚さん、メインエンジニアのHALさん、篠崎さん、
本当にありがとうございました。
そして 本日、ファンクラブ冊子のeponicaにご入会、更新いただいた方だけに届く、『ありがとうCD』第3弾についてくる、『魔法の言葉』という作品が、
ついに完成!
これは、歌が、一枚、一枚、だんだん出来上がってくるという試みになっており、
eponicaに入会しないと、聴けない作品。(お店で売っていないから)
なかなかよい曲に仕上がっています。
本日プレスに入りました。
もうじき皆様のお手元に届きます。
楽しみにしていてくださいね。(お店で買えないEPOのレア音源です)
ふあ..
それにしても、さすがに、疲れた...。
完全なお休みがこのところ一日もない。
家のことや、会社のこと、eponicaの原稿や、CDリリースのための書類制作、
昨年に比べると、仕事の内容が拡大している。
葉山にいても、PCと向き合い、仕事だもの。
目覚ましかけないだけ...東京に行かないだけで、
こんな時間まで仕事してたら、お休みじゃないじゃん!?
eponica45号の原稿は今日が、閉め切りだったのに...間に合わなかった。
明日までずれ込んでしまいそうだなあ...。
マイアミいる時は、朝から夜まで勉強、勉強だけれど、
本当に知りたいと思っていることだけを勉強できているのだから、
楽しいんだな。
自分にとって、マイアミに滞在している時間は、一番癒されてる時間なのかもしれないともこのごろ思う。
将来的には、土地や人のエネルギーと、自分の活動を連動させて、
沖縄と葉山とマイアミの3カ所を行ったり来たりすることになると思う。
ふと気がつくと、どの街にも、海があるんだな...やっぱり。
4月の沖縄...不動産屋さんを回るつもり。
2009年3月 9日
●『たったひとつの』
『たったひとつの』
昨日、CCレモンホール(渋谷公会堂)で、TFMのイベントに出演した。
ラジオドラマの主人公が無事、結婚。その披露宴で歌うという設定。
2000人の席は、全国からの番組ファンでいっぱい。
私は、笹子さんとデュオで、まずは、『うふふふ』を聴いていただき、
「礼司さん、優さん、ご結婚おめでとうございます!お互いにとって、たたひとつの存在でありつつけてくださいね。」と、スピーチをし、
『たったひとつの』(7/8日発売『AQUA NOME』に収録)を、プレゼントした。
あちこちから、鼻をすする音が聞こえてきた。涙をぬぐう人の姿も見えた。
私も、泣きそうになった。
『たったひとつの』が、2000人の人たちの、それぞれの心の中にゆっくりと染み入っていくようだった。
うさちゃんが、FMの人たちを説得してくれて、この歌を歌えることが実現した。
この作品は、25周年の年の12月のAQUA NOMEで皆さんに初めて聴いてもらったんだっけ。
あれ以来、いろんな場所で歌うたびに、問い合わせが殺到した。
『たったひとつの』は、私自身の歌。
私の家族は、何故か私に対して強い敵意を表す。
そうなると、健康的なコミュケーションなんか無理で、
普通の会話が成り立たない。
そのたびに、私の中に後味の悪い不毛感だけが残る。
私は、自分に残された、最後の答えをずっと探していた。
どんなに彼らが私を存在否定をしようとも、揺るぎない真実を探していた。
神様が見ても、誰が見ても、私はこの家族を選び生まれた。
あなた達が私を否定できない真実は、
もうこれしか残っていないのだとわかったとき、
この作品は、自分を救う答えとなり、切実な祈りとなった。
私の、大切なエッセンス。
音楽やHealingを通じてクリエイティブな人生を生きたいと思う、
私の情熱の源は、全てここから来ていると思った。
誰がみても、常に本当のことを言う。表現する。
神聖な神様の意思と、自分がつながっていたいと思った時、
『たったひとつの』が生まれた。
この歌は、私自身に対する家族からの存在の否定から、
暗く重い呪縛を解いてくれた。
今は、この作品を歌うたびに、
「君は、君のままでいていいんだよ。」と、見えない誰かに応援されているような気持ちになる。
少しでもたくさんの人たちの人生に、『たったひとつの』という歌が、
共時性を持って役立ってくれたらと、
願っています。
2009年3月 1日
●出してすっきり
一人だったときは、押し入れに頭を突っ込んで大泣きしながら、叫んでみたり、
勢いに任せて、本棚の中みを全部出しちゃったり、
年に一度か2度は、自分のストレス解消のために、
フィジカルなプロセスが必ず起こっていた。
ついでに、いるものいらないものの整理なんかしちゃって、そんな自分の状態を、有効利用できていた。
私は、自分の中に、単なる怒りでは済まされない、
破壊的なカロリーが眠っており、時々見え隠れすることを、
誰にも言えないでいた。
今は、BBSHの先生や同級生たちが体をはって、そんな私につきあってくれている。
私は、母のボーダーラインのチエーンを、もしや自分が引き継いでいるのではないかと、日々恐れている。
怒りや不安を感じないように、自分の中にスルーし、
痛みをこれ以上感じないために、女性としての幸せを選択しないことを正当化させてきた。
それが、私の第2チャクラに大きなブロックを作っていることは、前々から知っていた。
私自身が、インナーチャイルドに共感できないのは、こんな悲しみや怒りを持っていながら、いい子でいようとする嘘つきな偽物の自分だったからだ。
そいつを、なぐってけって、本気で泣くまで、虐めて私は自分自身の本性をこの手であかしてやりたいと思っていたのだ。
リストカットはしなかったまでも、私を、自傷行為ぎりぎりの精神状態から救ってくれたのは、本当の感情、音楽の産みの苦しみや、筋肉痛により現実的な肉体や心の感覚を維持することを助けてくれた、音楽とスポーツだったんだとつくずく思った。
私にスイッチが入った時、担任の先生が、私の前に、ウレタンのマットをまるめて盾にした。
「エイコ!いいわよ!もっと吐き出しなさい!」
先生は、さあ来いと言わんばかりに、やるき満々。
このような自分のリアクションをWellcomeされた体験は初めてだった。
私は、興奮しまくった牛みたいになって、ぶつかっていった。
声と、力で押して押して押しまくり、私は汗だくになった。
「お前たち(母&兄)なんかに負けてたまるか!」
自分で言うのもなんだけど、すごい力だったと思う。
後で聞いたら、先生側に5〜6人、私の力を受け止める同級生のサポーターがいたという。
泣きながら叫ぶ私に、
「そんなエイコも愛してるよ!」と、同級生から返事が返ってきた。
私は泣いて膝がくだけた。
こんなになってる私も愛してくれるの?そんなこと言われたの生まれて初めてだった。
体から力が抜けて、向かっていくことができなくなった。
「出た!〜」って感じ。
先生も同級生も、へとへとになるまで、私と向き合ってくれた。
あれから、体がとても軽い。首のブロックもとれた。
MUSIC&DRAMAに、
「息子、娘があばれるんです」当事者としては、きっと怖いだろうと思う。
そんな問い合わせがあいつぐ。
「そんなに怒っていたんだね。出していいよ。」と、クライアントに手をさしのべるが、そのほとんどが、怒りを出すことを怖がる。怒りを出してはいけないと教わってくるからだ。
怒りはエネルギーなの。うんこや、おしっこと同じ。出しちゃったら、そこに新しいエネルギーが通る。
実の親子なら無理であることも、私たちは将来、そんな苦しみも、子供から大人まで、安全に表現していいよと、言って上げられるカウンセリングスペースにまで作り上げていきたいと思う。
幸い私は、基本体育会だし。
私の父は、喧嘩が 始まるとよく、ものを壊す人だった。
小さい頃は母のひとことが気に入らなくて、ただ、暴れているだけだと思っていた。そんな父を軽蔑していたけれど、いまは違う。
人格的に破綻した人間と暮らすことが、どれくらい正常な神経を持つ人間の心を巣食うか、体験したものでなければわからない。
それが妻であり、子供ふたりを守っていかなければならないという責任があったとしたら、なをのこと大変だったのではないかと思う。
父が私に暴力をふるわなかったのは、物に当たることで、そのように発散できていたからだったのだと。