●ありのままでいるということ
インターナショナル校の日本人卒業生と上級生、3人を囲んで、
談話をした。
4年生の卒論とかクライアントのケース発表は、
どんな感じ?とか、BIWでは、どんな勉強をするの?とか、
私たちは興味深々。
BIWというのは、ブレンナン・サイエンスをさらに自分のものにして、統合させ、エネルギー・レベルでクライアントのプロセスを調和誘導するためのセラピストの資格をとるコース。
できれば、私はこのコースまで進みたいと思う。
半分以上が卒業できないみたいだけれど。
私たちは、年間18回以上、この学校のセラピスト(BIP)と向き合い、
自分のことや、クライアントとのセッションの中で一番難しかったことの原因を、
とことんみていくスーパー・ビジョンというカウンセリングを受けることが義務づけられているの。
私たちの先生は、そのまた先生からセッションを受け、その先生はまたその上の先生からセッションを受ける。
セラピストやヒーラーという職業は、一生、完了することがないんだって知り、
その仕事をする人たちの謙虚さや、向上心を強く米国で感じている。
文楽の人間国宝の人もそういってたなあ。今世ではこの仕事は終わらないと。
私のヒプノの同級生は、そういう意味で、私に常に様々な影響を与えてくれたの。
彼女達は、仕事もあっていつもすごく忙しいのに、いろんなセミナーに出たり、セッションを受けたりした。
BBSHを紹介してくれたのも、この同級生達だった。
私に本物のスピリチュアリティーを常に見せてくれて、新しい体験をさせてくれていたのは、同級生だった。
彼女達が選択するどれもが刺激的で、地球的で、ひとりよがりのスピリチュアリティーでなかったことを思えば、それを選ぶ人たちの心の目を信用しないわけにはいかない。
話はそれちゃったけれど、このBIW。
トレーニングは命がけらしい。
クライアントが持っている、根本問題へ深く連れていき、
そこでクライアントがどうにかなってしまっても、
安全に無事に、帰還させなければならないのだという。
セラピストも命がけ。
本当に、この学校の先生もBIPの先生も、ダイナミック。
体力、筋力は絶対に必要だ。
先日、私もこのセッションを、スーパー・ビジョンという形で、
授業中発表したばかり。
あるヒーリング・ボランティアのクライアントとのセッションで、
自分の体の中や、メンタルに起こったことで一番困難だったことを、
みてもらった。
レベッカという先生に、私の中に起こっていたことの根本原因を見事に見抜かれ、結果、セッションは、自分が全く想像してもいないところへ、どっか〜ンと落ちていった。
私は、家族の中で誰よりも早く自立し、頑張ってきた。
母はよく「自分には能力が無いから..」という言葉を使っていた。
その裏には、
「私のめんどうをみなさい」という言葉が聞こえてくる。
兄のいないところでは、兄がどんなに頼りにならないかを、
嘆く母。
私の中には、私が将来両親のめんどうを見ることになるんだなと思い込んでいた。
その上、つきあうBFの全てを否定されるから、
きっと私は一生独身で、死ぬまで両親のめんどうをみて、ひとりぼっちの人生を送るんだろうなあという映像まで、バカなことに自分に受け入れていた。
父が体調をくずしてからは、20年間両親の生活を支えてきた。
父が亡くなり、母が兄の家に引っ越すことが決まったある日、
「お前からの援助は、ほんとうは迷惑だった。」と、兄から言われたとき、
私は愕然とした。
そこまで言われるなら、よけいなお世話かと思い、
そこから私が引き上げると、
「お前は自分をボロぞうきんのように捨てた」となじられ、私は、本当に混乱した。
大きかれ、小さかれ、こういう混乱は日常茶飯事だった。
私は、こんな風に、家族の中でどのように存在しても、「間違っている」のである。
いつまでたっても「正解」と言ってもらえない存在の私は、血のつながった家族の中で、
なければいい存在なのである。
母は、母で、兄には私のことを、いかにひどい人間なのかを、きっと話していたのだろう。
母が自分を守るために、双方に嘘をつき、不憫に思わせることで私と兄から、
何不自由ない愛や援助を得ていたのであれば、それは母が幸せになることだから、今となっては理解できている。
でも、兄は、母によって吹聴された私像をかなり誤解していると思われるので、
いつの日か人間としての尊厳のために、そこだけは修正してもらいたいと思っている。
母が生きているうちに、それがバレると、彼女が居場所を失うと感じているなら、
縁を切られることも、今は、完全に受け入れている代わりにね。
調和誘導に導いたはずが、「でもね...」と、自己否定し、
前向きな結果を受け取ることを拒絶するクライアント。
がっくり来るの。いつも。
90分の時間をかけセッションしてきたのに、
「想像していたのと違っていた。」とまで、言われることもある。
ならば、どういうものを想像していたのかと聴くと、
それは個人の勝手な解釈による期待だったりする。
その期待が裏切られたことに腹をたてられる。
既にそこには、クライアントの転移が私に対して起こっている。
私は、その時、「自分の期待を裏切ったお母さん」役になる。
セラピストとは、そういう役割である宿命だから、それも含まれてのセッションだけど、
本当にきつい。
私はその時、家族の中で味わったあの無力感と、
居場所のなさが心の中で再現されてしまうのだ。
きっと、その問題は一生かけて私自身が解決していくテーマのひとつだと思う。
この日記を読んだ多くのセラピストの中には「プロとしてどうなの?」
と、疑問をもつ人もいるかもしれない。
プロでも完全な人間はいない。
私は、プロのセラピストであっても、そういう心境になることを自分に許し、その感情に
正直でいたいと思う。
受け取って貰えなくても、自分は間違ってなんかいない。
私は、私らしくクライアントと向き合っただけ。
と、自己肯定することが、自分のプロセスなんじゃないかなと思う。
むしろ、自分がプロであっても、文楽の人間国宝のように、
未完成である私のありのままをクライアントに見せることこそ、
クライアントにとって、ヒーリングなのではないかとさえ思う。
そういう受け入れ方を教えてくれた、
BBSHの全ての先生に感謝したい。