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2009年10月29日

●『AQUA NOME』札幌・琴似・コンカリーニョ

明日は、北海道、初雪がふるらしい。
さみい〜のいやだよう。
一応、トランクにコートを入れた。

久しぶりのコンカリーニョ!新しいコンカリーニョで音楽をやるのは、
初めて。
とても楽しみです。
インフルエンザの影響か...ファン層的には、土日が助かるのだろうけれど、
金曜日のせいか、いつもと少し動きが違うようで、
チケットの当日券も充分あるそうです。(笑...とほほ)
本当にたくさんの人たちに、
生でこのサウンドを聴いていただきたいと思います。

もちろん、懐かしいEPOナンバーもメニューの中に入っているので、
いろんなEPOをお楽しみいただけると思います。

今日は、BBSHの先生のセッションを受けました。
アメリカ人の担任の先生に書いてもらった、
私の、評価表に書かれてある文章を、
翻訳してもらっている間に、
またしくしく...泣いてしまった。
なんでかな。

やっと生還した喜びのような、そんな感じかな。
私は、本当の心の『ふるさと』に帰ってこられたのかもしれない。

「どんなに母親から否定されても、
真実の自分と、真実の感情を表現することに感じてきた罪悪感を、
あなたが、手放したことを、あなたのCaseから、確認しました。」

帰国以来、日常生活の中で、そういえば既に自分がいろんな面で、
解き放たれていることを実感している。

ありのままに、「悲しい」を、表現することには、
いい、悪いは、無いのだ。

「悲しい」と感じている。
ただ、そこに、「悲しい」があるだけ。
それは、いけないことなんかじゃない。

そんなふうに、思えるようになってきた。

明日のライブは、本当に楽しみだ。
嵯峨さんにも、久しぶりに会える。

ライブが終わったら、その充実感をしっかりと感じ、
メンバーとたくさんおしゃべりし、
おいしいものを食べながら、音楽している時と同じように、
楽しく、一日を味わいたい。

よく、打ち上げで、あそこが、こうだ、ああだと、
主観的でしかも、聴きたくない感想を述べる、
関係者の人たちがいる。

大切に作り上げた創造物のエネルギーが、舞台で拡張し、
感動を持って終わり、学びをもって収縮する過程までが、
音楽だということを、こういう人たちは全く知らない。
楽しい打ち上げをして、ホテルに戻り、気持ちよく眠りにつくまでが、
音楽なのに。

彼らは、創作過程途中で、音楽家から音楽をよく奪う。
このプロセスは、歌い手や演奏者達にとって、一番、甘露な時間であり、かつ、
統合された時間でなければならない。
それくらい、デリケートな時間であることに、
こういう人たちは、気がついていない。

こういう人が打ち上げに参加する時、
私の、一日は、帳消しになる。
その人に、自分が、いかに物事を知っているかを、ものの見方が厳しいかを、
アピールする場に打ち上げの場が使われるとき、
とても残念な気持ちになるのだ。

私は、その人の気持ちにちゃんと答えてあげないといけないと思っている。
EPOは、これを聴いたらどう反応するかな?
って、きっと期待している。

私は、これからは、子供みたいに泣こうと思う。
わんわんと。本人の前で、大声で。
そんなことされたら、悲しいと。

積み木の城がまだ完成していないのに、
途中で、形や色をジャッジしようとする大人に、
わたしはもしかしたら、噛み付くかもしれない。
「こんなところで、認められようとするな!」と。

皆、知らないだけ。
歌手も、演奏家も、どのようにものを作り、
生きているかを。

でもこれは、音楽家だけではなく、
人間同士のマナーとして大切なことだろ?
ちがうかな?

だから、わからない人には、
教えてあげないといけないと思う。