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2009年11月22日

●29期都立松原高校卒業生30周年同窓会

120人近くが渋谷のホテルに集まった!
こんなに素晴らしい会を企画してくれた、仲間に心から感謝。
フランスに赴任中の外務省勤務の同級生が、たまたまこの時期に、
帰国するという日程に合わせ、この企画が持ち上がったらしい。

一学年上の人たちの時は80人だったというから、
それを越える参加率ということになるのかな?会場はとにかく、すごい熱気。
あの顔、この顔、女の子はほとんど変わっていなかった。
男の子の方が、大人の顔になり、貫禄がついてたな〜。
女の子は、すぐにわかる。皆、この年齢だというのに、若々しく、
ですごく奇麗になってて、うれしかった。

私は、高校の時に、男の子とほとんどお話しをしたことがなかったから、
男子の印象が薄くて、名札を見ながら、当時の顔を思い出していたの。
「僕、佐藤さんと話するの、初めて。」
と、気さくに話しかけてくれる男子がたくさんいて、
うれしかった。
な〜んだ、こんなに開いている人だったんだ!って、
今になって親しみを感じる人たちがほとんどだったな。
そう...私の方が、特に、男子に閉じてた。なんでだ?

私は、中学の時の部活の人間関係にほとほと疲れていたので、
高校の時には運動部に入らず、演劇をやってたの。
目立たないように、目立たないように、
女のめんどくさい妬みや災難に巻き込まれないようにと、
行動や見え方に気を使って、安全な友達と一緒に毎日過ごしていたんだけど、
実際はかなり目立ってたと、聴いて、唖然。

笑い声が隣のクラスまで聞こえるほどでかくて、
EPOがいるなと、わかったとか、
体育祭のDanceで、EPOが振り付けをしてたとか...
ハードルが、めちゃくちゃ早くてすごかった!とか、
皆がベリー・ロールで飛ぶ走り高跳びを、EPOは正面飛びで飛んで、
たまげた!とか。
やっぱり、運動に関することの印象が強かったみたい。
「佐藤ってさ、いつも、居眠りしてたよね、佐藤には、寝てる印象が強い。」
ってのもあった。おう〜スキゾってたか。

私は、家に帰ると地獄のような家族関係が待ってたから、
私は、「私の一生、暗闇の中の人」ぐらいに、実は毎日憂鬱な「佐藤永子」が、
自分の中にいたはずなんだけど、
皆から見えている私は、そういう人ではなかったと知り、
なんか微妙な気分になった。
私、いったい誰になってたんだろう?高校生の頃。
でもね、ひとつ言えるのは、
学校〜楽しかった!!先生の人格も素晴らしかったし、友達も最高だった。

だから、私にとっては、いい思い出ばっかり。
昨日も、仲良しの皆と話しながら、久しぶりに、
よじれるほど、笑いこけてた。

秋元カヲルさんに、急遽お願いして、
ミニライブもやりました。(やっぱりお願いしてよかった。
私ひとりでは、たぶん、皆に何も聞こえなかったと思う。本当にありがとう)

懐かしい仲間との再会におしゃべりも弾む中、
前の方で聴く人は聴いてくれて、
本当によかった。


私は、『生活の木』の社長、重永君と共に、
この同窓会の発起人という大きなお仕事をすることになりました。
ともだちと、原宿に遊びにいくとよく、
「ここって、重永君の家なんだって。」と交差点近くにあるお店の前を通ったっけ。
高校生の頃はまだアロマオイルのことについて、
全く知らなかった頃だけど、
今や『生活の木』を、巨大企業に成長させたのは、何を隠そう、
松原高校自慢の起業家、重永君なのだ〜。

発起人挨拶の時に、「今の気分で歌います!」と言うと、
皆から、「おう〜!」という声と拍手がもれ、
なんと乾杯の挨拶の時に、
彼は、即興で歌ったの!
「今日は、皆に会えて、本当にうれしい〜、いつまでも、友達でいような〜、
ありがとう〜」みたいな歌詞だったけな?
Healing的に感じるとしたなら、私は彼の挨拶から、
『勇気』をもらった。
120人の前で、アカペラで今の気分を歌う。
これって、リーダーになる人の鏡。
なんか、ネイティブ・インディアンの儀式みたいだった。(顔もちょっとそんな感じ)
下手でもなんでもいい、とにかく、自分から始める。
音楽療法の時に、その先生となる人が、皆をひっぱっていくために、
一番しなければならないことだと私は思ってるんだけどね。
声は震えていても、それを聴いている皆を元気にさせたオープニングの歌に、
私は本当に感動した。

結局3次会までおつきあいすることに。
最後は、実行委員をねぎらいしっぽりと。
まりちゃん!吉田君、本当にありがとう!
一日だけ松原高校生にもどれて、
断線したコードに電気が通って、小さな明かりが、あちこちでともったような、
暖かい一日でした。