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2010年7月19日

●どうするかって?

卒業後、4年分のエネルギーの拡張の後の収縮が始まって、
私達にいろんなことが起こっている。
BBSHの学校のHPをあたらめて読んでみたんだけれど、「ハンズ・オン・エネルギー・ヒーリングと自己変容(私がよくプロセスと言っていること)を専門としたスクール」と書かれてあった。
だからいろんな自己変容がそれぞれに、継続して起こっているだけのことなのかなと、
やけにがてんがいった。
自己変容を4年間みっちりやってきたのだもの、変容することにおいては慣れているし、
それを自分に受け入れられるだけの筋力がついているからこそ、
卒業した今も、私達は進化に向かって、いろんな変容が起こるのも自然なことだ。

自分自身のことを考えてみた。
ばたばた忙しいながらも葉山でのゆったりした時間を、こんなに満喫できているのは何年ぶりかしら?
トータルで約10年は本当に勉強に自分の時間とお金を投資してきた。
いいお洋服にもジュエリーにも車にも、私は、全く興味が無い。
快適な居住空間と食生活に関しては気を使うけど。
だから今は、宿題に追われることのない開放感を味わい、人生がいかに甘美であるかを、
満喫している気がする。こりゃ、とてもポジティブな自己変容だわ。

卒業する最後のクラスでBBSHの認定HealerとしてHealing Spaceの開業に関する経営や宣伝方法についての授業があった。サンプルの名刺も作らなければいけなかった。
私の卒業はぎりぎりまで危ぶまれていたので、名刺を作ることに実は大きな抵抗があった。
「卒業もできないのに、ブレナン・ヒーリング・サイエンスのプラクティショナーなどと、肩書きに書いたら、先生から、何か言われやしないだろうか..とか、まだ資格も認定されていないのに、肩書きを書くなんて、あなたのバウンダリーはどうなっているのか、とか、言われそうだな...」とか、
名刺の原稿をデザイナーの友人に渡すとき、いろんなSuper Egoの声が私を混乱させたの。
もし、自分がセラピストになるときに取得した認定資格をそこに書いたとしても、
なんか、肩書きで自分を人から信用してもらおうなんて考えているような気がして、
それも嫌だなと。

でも、実際、当日、掲示板にピンでとめられている皆の名刺を見たら、
皆、堂々と、けっこうたくさん肩書きを書いているじゃない?
結局、そういう心配をしている自分に問題があったわけ。
そう...もっと自分に正直になろう。
そして心配する根本原因について、もういちど考えてみる必要があると思った。

米国では、医師と患者が同意をすれば、Healerが手術室に医者と一緒に入って施術を行うことができる。
補完医療の存在や理解は日本に比べて、とても進んでいる。
エネルギー・ヒーリングを同時に行うと、出血も少なく、回復も早い。
人間の生き方を根本からポジティブな方向に変えてしまうほどの自己変容がクライアントに起こったりもする。
何故なら、エネルギーから物質ができているから。
肉体の前にエネルギー(もしくは、私達の意識、考え方)があって、もしもそのエネルギーが歪んでいたり絡まっていたりしたら、それを整え、調整し、チャージすることで、肉体レベルにポジティブな影響が起こるの。
私達は4年間、自分の意識と体を使って、このことを実際に経験してきた。
だから、信じているのに。
Healingという補完医療。
私はもっと日本の社会に、正しくHealingという科学を理解されたいと思う。
ということは、「私、決して怪しいものじゃありません」と、どこかうしろめたい気持ちになったりも、言い訳じみた自分もいるってことでもある。
今は、それも仕方が無いと思っている。

今日の夕焼けはきれいだったな。
夕焼けは自分の美しさに言い訳なんかしないよね。
「どうして、私が奇麗かっていうと...」などと。
私が、この自然の姿に感動するのは何故かな。
私達の心もまた、自然の姿と同じ美しさをうまれつき持っているからこそ、
同じように自然をみて感動できるんじゃないのかな。
と、そんなことを思った。

う〜ん。だから...
私は、何をやりたいのかというと、
やはり、私が持っている鈴の音が鳴った時、同時に、あなたが持っている鈴の音が
りりりんと鳴るような生き方をしたいのだということを、
再認識したの。

もしも私の音楽に感動してくれた人が、
「あ?私も、こんなに奇麗に鳴る鈴を持っていたんだ!」って、
その人がその人本来の自身を好きになってくれたら、
それは、素敵な仕事だな。
Healingと呼ばなくてもね。

ああ〜また自分の名刺になって書いたらいいのか、わからなくなった。



















この学校は、ハンズ・オン・エネルギー・ヒーリングと自己変容を専門としたスクールで、私は6月にプログラムを修了。ブレナン・ヒーリング・サイエンスの修了証もいただいた。しかし、ちっとも自分が統合されているわけではなく、今、ようやく、このことを学ぶための入り口に立っているような気がする。でもそれこそが、Healingの正しい意味。私は今、そういう瞬間の、自分という存在の真実と繋がっていると強く思う。



2010年7月17日

●もうひとつのスーダン

明日あたり梅雨明け?
うれしいな。
本当に、いい一週間だった。

日曜日に、秋元カヲルさんと、「もうひとつのスーダン」という主婦の友社から出版された本の著者でもある、写真家の内藤順司さんの講演会と写真展で、Liveボランティアをしたの。
スライドを見ながらの内藤さんの話はとても興味深いものでした。
カトリック逗子教会で行われたこの講演会。
となりに木彫りのマリア像があって、神様に見守られているような感じがした。
神聖かつなごやかな雰囲気の中、お話しの会が進みました。

この本は、文/日本人医師の川原尚行さん 写真・文/内藤順司さんで書かれています。
本当に素晴らしい作品なのでたくさんの方に読んでいただきたいです。
この本に感動して私は、「神の仕事」という歌を作りました。
音源を仕上げて、9月にまたスーダンに行く内藤さんから川原さんに届けていただく予定です。
ライブが終わってから内藤さんを囲んで食事。
リアルなスーダンの現状を伺い、いろんな意味で感動。
音楽にできることって何だろう...
人間にはいろんな役割がそれぞれあると思う。
まず、これ!と思ったら、体が先に行動に出る人。
じっくり自分に何が起こっているのかを感じてから意識を世界の現状へと覚醒させ、その覚醒を周囲の人にポジティブに伝えていく人。

私は、川原さんと内藤さんの本を読んで思ったの。
自分は、たまたま私は日本に生まれただけのことって。
ホログラフィックに自分を点検すれば理不尽な現状も苦しみも悲しみも、
自分の中にたくさん実際に起こっているよなって。
そことどう彼らのように向き合えばよいのかなって。

日本には戦争は実際に起こってはいない。
だからと言って、
私達の方がまだまし...というような話ではないのだ。
実際には、ましかもしれない。
でもね、私は思うの。
私は、自分自身がこういうスーダンの現実を知って、
どのように自分自身を覚醒させることができるか...
そこに体験の価値があるんじゃないかって思うの。
平和であーよかった...ではなくね。
よかったよ。本当に平和で。
でもね、彼らの仕事が私達に語りかけてくれるものは、
そういうことではないと思ったの。
逆に、平和な国にいる私達が忘れている大切なものを思い出させてくれる何かが、
この本にはある。

今日はうさちゃんが大学の先生の日。
久しぶりにひとりで過ごす午後。
マイアミで購入していた珊瑚のビーズを細いテグスにつなげてネックレスを作りながら、
そんなことを考えていた一日だった。こういう余裕もマイアミに通っていた頃はなかったものなあ〜。

ネックレスは、思ったよりもいい出来。
ちょっと、アクセサリー作り、はまりそう。



















2010年7月 9日

●痛み...いけないことじゃないよ

あなたへ...
メッセージをいただいていたので、
お返事です。

心の痛み...痛いよね。
わかるよ。あなたに痛みがあること。
それ受け取ったよ。

私もそうだった。ずっとそうだった。
私も、子供の頃から、ずっと痛みと一緒にいたの。
心が晴れたことなんか一日もなかった。
そして、その痛みに似たような体験を大人になってからも誰かを通じて日々、
体験してきた。
原点は両親から...兄弟から..そして、幼稚園の先生から、
学校の先生から、友達から...
なんで、こうも、同じような気持ちにさせられるのかなって思っていた。

「させられるのかな?」というところがミソ。
させられる=誰かのせい。

あまりにも不可思議な、人生に起きる繰り返しのパターン。
同じことを言われても、なんとも思わない人もいるのに、
私は何故、こうも繊細にネガティブに傷ついてしまうのだろう?と、
不思議で仕方がなかった。
ということは、相手のせいではなく、私に問題があるのだと気がつき、
この心の仕組みを学び始めたんだけど。

そのことに気がつくまで、私にとって痛みは友達みないなものだった。
友達みたいなものなのに、「なくなればいいのに、こんな痛み」って、思ってた。
そうしたら、もっと痛くなった。

BBSH(バーバラ・ブレナンのヒーリング・スクール)に通っていたとき、
先生からずっと言われていたの。
その痛みを自分から切り離さないで、一緒にいなさいと。
切り離すから、痛みがでるのだと。
痛みの中にしっかり自分を存在させ、その痛みを充分に感じなさいと。
わざわざ、なんでそんなことしなきゃいけないのか、
私はムカついた。
その意味を理解するのに、マイアミでのこの4年は価値のある時間だった。
どうしたら、その痛みを客観的に見ることができるかって?
まずは、その痛みの正体を知ること。
私の痛みの下には、自分がまだ受け入れることのできない、
不安や恐怖があったの。
自分が、未だ体験したことの無い場所...それってとても不安だし、怖い。

何故、不安なのか?
何故、それが怖いのか?
何故?何故?そこになにがあるの?
って、ずっとずっと自分に問いかけてみてね。
もうひとりの自分が、その時の体験をきっと答えてくれる。

そうすると、ひとこと。
言えなかった感情が出てくる。
あまりにも周りの人に粗末にされすぎて、
感じることもできなかった痛みの原点に触れる瞬間が来る。

本当は悲しかったの。
とても怖かったんだ。
恥ずかしかったの。
くやしかった...。
もっと、話を聴いて欲しかった。
ありのままの自分を受け入れて欲しかった。

もしくは自分を否定したい感情とか、
そういうものが出てくるかもしれない。
自分を自分で否定するなんて、
もっとも痛いことだ...。
自分で自分を消してしまいたい感情はもっと。

私は先日このプロセスを体験したばかり。
本当に痛かった。

でもね、このことが自分に出て来たときに、是非、あなたにはこう思って欲しい。

心に痛みがあることは、いけないことじゃないよ。
痛みを持っている自分のことも愛せるかな?
痛みを持っているからと言って、あなたが全部ダメなわけではない。
あなたの、痛みを自分から排除しなければ、
痛みはあなたの導き手となって、貴方を光りの世界にきっと導いてくれる。

私も、まだまだ完了されたわけではない。
いまだって、小さい頃の自分にすぐにもどって、
え〜ん...って泣いちゃう。
でもその時にこの魔法を使う。

何故?何故?そこになにがあるの?何を体験したの?
それで、その体験には何があるの?
って、どんどん、どんどん、納得するまで聴いていく。
そうすると、静かに心が落ち着いてくる。

いけないことじゃないよ...痛みを持っていることは。
いけないことじゃないよ...怒りを現すことも。

もうひとつの魔法を教えてあげる。
おへその3センチ上にね、Core Starという名前の、自分という神様がいるの。

その神様に心からお願いをして。
「どうか私にポジティブな変化が起こりますように」って。
驚くほど、心が落ち着いてきます。

eponica48号の『泣きたくなったらおしえてね』のエッセイに、
今回私が体験した心のプロセスを細かく載せています。
よかったら、購読してね。






2010年7月 7日

●忙しいときは重なる

eponicaの追い込みに入っています。
月末に終えるはずだった、会社の仕事も、ああ〜〜終わっていない。
CMのDEMOの締め切りが来て、さっきまでPCと楽器に向かっていた。
こういう時の仕事の優先順位にとても迷います。
どれも大切なものだから。
CMについては、軽いオケを作って送らなければならなくて、さきほど、
おっと〜〜〜0-92333333333333333333333r5(オモちゃんがPCの上を歩いたあとです。)
打ち込みの作業が終わり、ようやく先方にメールで送ってもらったところ。

ほっとして録画しておいたスジナシを見た。
ぐっさんって、前から、ものまねも素晴らしいと思ってたけれど、
ある種、彼の表現は、チャネリングに近い。
役者さん、役の人格がその人に乗り移って、
その役の人格が、本当にその人生を生きているように、感じさせてくれる時がある。

そうなると、演技というよりも、
その役の人が本当にそこで、自分の人生を生きている姿を、
私達に見せてくれていて、そのことを、私達は芝居と呼ぶ...
その方がしっくりくるような気がする時があるの。

ぐっさん、アドリブで泣いてた。すごいな。

夕方、日が暮れてから海で泳いだの。一色海岸の水...とてもきれいだった。
水温もちょうどよく、気持ちがよかった〜。
海の家もほとんど完成に近い状態に仕上っていました。
今年は、たくさん海で遊びたい!
痛めていた膝も、毎日の筋力トレーニングで、
少しずつ回復に向かっています。

明日(と言っても今日)は、午前中から、カウンセリングセッションの日。
Healingを取り入れたメニューにMUSIC&DRAMAのセッションは進化しています。

午後は、久しぶりにTVの主題歌で、ご一緒する作曲家の林哲司さんとの共作のDEMOの仮歌の練習。

いい曲が3曲も候補に上がっていますが、
仮歌を入れてから、TV局の方がどの作品にするか選んで、
その後、私の作詞作業に入る予定。

作る仕事がこのところたくさん来ている。
たのしなな〜〜。














2010年7月 5日

●80年代〜2010年まで盛りだくさん

土曜日に、Jazzの老舗スポットで歌ってきました。
全編ピアノ弾き語りという、私にとっては大きなチャレンジだったと同時に、
とても新鮮!当日は、カウンターの中まで、満員御礼。
8月にご一緒する鈴木重子さんも遊びにきてくれました。
本当に皆さん、来てくださって、ありがとうございました。
昔から応援してくださってる方も、WicaからEPO入門した方も、JAZZファンの方も、
入り交じっておられた様子。
だって、AQUA NOMEも、WICAも持って来たCDが全て完売したの。
うれしかったです。


今回のLiveにあたっては、最初ひとりでやることに自信が持てなくて、
実は内心びびっていたのですが、なんとか楽しんで歌うことができました。
いつもなら学校の宿題に追われてひ〜こらいってた4年間だったけど、
今年は珍しくピアノに触れる気持ちの余裕もできている。
昔の自分の歌詞カードを引っ張りだしてきて、ポロポロ弾き始めていたら、
お?けっこうイケそうな感じ?
懐かしくて、切なくて、泣きそうになっちゃったよ。昔の自分の歌。
レコーディングの時、こうだったな〜とか...
当時、一緒に仕事をしていた人たちの顔が浮かんできたり。
皆さんが、思い出と一緒に私の歌を抱きしめていてくれているのと同じように、
私もそうだったんだなって、あらためて感じました。大切にしなきゃ。自分の歌。

当日いらっしゃれなかった方のために、リストをご紹介しましょう。

木綿のハンカチーフ(やけに自分の声に合っていた!)
雨のケンネルどうり
うわさになりたい
日曜はベルが鳴る前に
うふふふ
土曜の夜はパラダイス
DOWN TOWN
私について
身代わりのバディー
疑似恋人たちの夜
きゅんと
ある朝風に吹かれて
見知らぬ手と手
百年の孤独

神の仕事(CD化していない新曲。日本人医師の川原尚行さんの本を読んで、感動して作った新曲。7/11日に逗子教会で、この本の文章と写真の内藤順行さんの講演会があるんだけれど、私ね、ボランディアで歌いにいきます。皆さんも是非、スーダンの現状を感じにきてね。無料とのこと。)
忘れられない人(CD化していない新曲)
忘れ路のブルース(演歌だよん。CD化していない新曲、皆さんムード歌謡コーラス手伝ってくれてありがと〜!!)
アカペラ:HYMN#002(秋元カヲルさんのカバー*素晴らしい曲でしよ。私はこういう世界の中に神様がいるように感じています。)

あと、練習してたけどできなかった予備曲、そして、
今後弾き語りで、今後できそうなものは

真夏の青写真
音楽のような風
語らい
5分遅れてみかけた人へ
雨のめぐり合い

以上でした。

友達がね、こんな風に感想を言ってくれたの。
「なんかEPOの部屋に招かれて、聴いてるような感じだったよ。」って。

私は、30周年を迎えたわけですが、お金をかけて特別な花火を上げなくても、
このようなシンプルなスタイルでも充分、意味があるように感じた一夜だったな。
近くに座っているファンの皆さんとお話しながら、すすめていくのも、すごくリラックスできたし、楽しかった。
それに、ピアノがあれば、どこでもできるし。

ライブが終わって、総勢7人、仲良し友達と食事に行った後、
なんと朝4時近くまで、カラオケで熱唱してしまった。
カラオケは選曲も芸のうち。皆、素晴らしかった!
ここでは、60年代〜80年代の日本の歌、歌いまくり!
友人の陽子が、天地真理を熱唱する私の動画をとっておったらしい...(恐)

あ〜毎日、楽しいことばっかり!