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2010年10月25日

●STB139にいらしてくださった皆様へ

10/22(金)無事にLiveが終わりました。
本当に、皆さん、暖かく応援してくださり、ありがとうございました。
懐かしい曲が出ると、「おう〜」という声が会場から聴こえて、
とてもうれしかったです〜。
私にとって、とても意味のある一日となりました。
当日のセットリストを書いてみますね。

一部
百年の孤独
矛盾の中で生きている
こどものくに(新曲)
いけないことかな(新曲)

*ピアノで、CMソングのさわりなど、ご紹介。アリエールのテーマ、ダバダ。ここで、資生堂のCMシリーズ、ニュアンスしましょ、唇ヌード咲かせます、現在On Air中のハリマドンナなど。

うふふふ
Dance

2部
音楽のような風
本当はね(新曲)
5分遅れでみかけた人へ(アカペラ)
ピアノ弾き語りで、朝のドライブ、うわさになりたい、身代わりのバディー

神の仕事(新曲*内藤順司さんの、スーダンの写真などスライドと共に)

メンバー登場
雨のケンネル通り
疑似恋人達の夜
DownTown
12月のエイプリルフール
土曜の夜はパラダイス

アンコール
たったひとつの

****

こんなメニューでした。
20代初期の作品だけれど、
頑張りすぎず、自分の真ん中にいられた状態で歌えたことが、
とてもよかったな〜。
しかも楽しかったし。

そうそう...
今、デスクを整理していたら、
こんな自分のメモ書きが出てきた。

「Healingとは、あなた自身が、自分という存在の真実とつながるよう、助けること。」

あなたというのは、自分のことでもあるし、クライアントの方々のことでもある。
私自身が、自分という真実とつながっていることは、
同じように、皆の鈴を鳴らすことなのかもしれない。

私自身が、自分という真実と、常につながって生きること、
そういう歌を作り歌うこと。
たとえそれが、若い頃に作った歌でもね。
そこに真実があったらOKなのだ。

次に関東で皆に会えるのは、
鎌倉ダフネ2Daysですね。

お席は、残りわずか...
大急ぎで予約してね。








2010年10月21日

●10/22(金)STB139に皆、来てね〜

ほ..やっと今、曲目と、曲順が決まった。

今のEPOや、20代の頃のEPO、
そして、現在の生活の窓から社会を見て感じたことを歌ったような、
新曲。

本当にわくわくしているの!

ダウンタウンや、音楽のような風、うふふふ、なんかは、
既に皆と演奏しているけれど、その他、
特に今回、初期の頃のアルバムから、作品を数曲とりあげてるの。
今のメンバーと演奏しても、しっくりくる。違和感無し。

ショーロ・クラブや亮さんと演奏すると、この曲、こんなふうになるんだ〜?って。
あの頃の自分の中にも、ちゃんと今の自分が生きていたんだって、
とても安心した。

何かの事情にずっと規制された中で、自我を生きていた20代。
それゆえ、もしも、今の私が、なかなか完成されないのなら、
昔の自分に正面からちゃんと会って、「あなたは、そんな中でも、いい曲作っていたんだね。だから本物なんだよ。素敵だったよ。」って、
その頃の私を、今の時代に連れ戻して、2010年のEPOと統合させるんだ。
なんか、カウンセリングのテクニックでいう、
パーツ・インテグレーションみたいな作業が、明日STBで自分に起こる。
そんな歴史的な現場の証人として、皆が私の音楽を聴いてくれたら、
私は泣いてしまうと思う。

アンケートの集計結果がようやく出たところなんだけど。
もどってきたアンケートを読みながら、感動したの。
皆さん、いろいろ私が変わっても、1980年からずっと応援してくれてることを知って、
うるうる。

好きなアルバムは?のところに、初期のものも、WicaもAQUANOMEも、
皆が書いてくれてた。本当にうれしかった。

今日は、早く寝ようと思うんだけど、
遠足の前の日みたいで、私は、まだ興奮してる。
お布団で丸くなってる、おもちゃんでもすりすりしてたら、
ねみいくなるかな。

皆、絶対に、お聞き逃しなくね。
STBで、待ってるよ〜〜。










2010年10月19日

●私は幸せを発明する

先週は毎日何かと忙しかったので、
今日は会社をお休みにして、昼間、東京まで家具を買いにでかけた。
途中、葉山のインターの近くで、素晴らしい木工の工房を発見。
そこで、漆で加工された杉の板のランチョンマットを購入。
素晴らしい作品ばかり。
思わず一目惚れしてしまった木製の花器。
あまりに高くて買えませんが、無骨で無口で繊細な作品。
本当に素晴らしかった。
今日は、家具といい、この作品といい、木の日だったなあ。

帰りに、近場の温泉でリフレッシュ。

サウナに何度も入って、
1キロ分汗かいてデトックス!
壮快!!!

作りかけの作品の詩のことをぼんやり考えていたら、
あっと言う間に、2時間が過ぎてしまった。


秋の青空を見上げ、極楽湯の真っ黒のお湯につかりながら、
今、現在生きているこの瞬間に過去と未来が存在しているというようなことを、
ぼんやりと考えていた。
なんて幸せな時間...。
と感じる今が、幸せな未来でもあるという。
なんて、簡単なことなのかしら?

以前の私は、「自分は幸せになってはいけない」と、考える風だった。
子供の頃から楽しいことの後に、必ず悲しいことが起こるような、
そんな家だったからだと思う。
たとえば、私が楽しく外で過ごし、家に戻ってくると、
私の母はすごく機嫌が悪い。
「ああ..私が幸せになることは、いけないことなんだな。」
と、子供の私はそんな風に思い込んでしまったのだ。
だから、楽しくても、幸せでも、そのことを表現することは、
我が家では危険なわけ。

私はその喜びの感覚を充分に味わい、自分の心に浸透させ、
自分のものにする前に、とにかく、
母親の機嫌が悪くならないように、今ある感情よりも先に、
どうあることがこの場に相応しいのかを瞬間的に考えて、
振る舞うような子供になってしまった。

幸せになることに違和感さえあった。
幸せの後に悲しみがやってくると、「ほらやっぱり」と、
ネガティブな結果に安心してさえいた。
最初から幸せになんかなれないような、変な選択もたくさんしたなあ。

このような私の思考形態がネガティブな親しみを作り、
否定的な創造、否定的になることに喜びを見つけ出していたり、
否定的な生産による結果、それを毎回実行しなければ、安心できないような、
そんなパターンを私は生きていたように思う。
そして、そのパターンに似合うような人たちをわざわざ選んで、
筋書きどうりの、トラブルに巻き込まれたり、傷ついたり。
そんな状況に、ちょっぴり快感にも似たような、喜びも感じていたり。
相手が悪いのではない。
自分が全て選んでいるのだ。
パン屋さんに入ったら、パンが売っていることぐらい、
シンプルな構造。

それは、小さな、小さな子供の頃の私の心が、
それしか方法がなくて使ってきた方法。
潜在意識は大人になっても、他の方法が見つかるまで、
古いやり方を繰り返してしまう。
その方が安全だし。知らない方法は恐いからだ。

BBSHでの4年間は、私の人生にとって修行のような日々だったけれど、
このことに気がつけたということは、
私の人生の中の最大の発見だたっと思う。

今日は、夕食後、TVを見ながら、ユザワヤで買っておいたフエルト細工の材料で、
ふいちゃんや、オモちゃんの狩りの犠牲になった、クリスマスに我が家に並ぶ、
小さいフエルト細工の、可愛いちゃんたちに、
チクチクと羊毛を差し込んで修繕してあげた。

明日は、編集部で、いよいよ皆さんからいただいた、
アンケートの集計の日。
楽しみです。







2010年10月18日

●音楽は料理に似ている?


土曜日、Art green eco week2010 〜E
co cooking live&talk
に出演しました。

埼玉県越谷にある、Laketown.
電車を乗り継いで、約三時間の旅。
山手線の故障で、急行に乗ったはずの京浜急行が、途中から各駅停車に。
10月も半ばだというのに、とにかく暑い。
電車の中は、冷房。
長く乗っていたのでからだが、芯まで冷えてしまった。
ライブもあるのに、どうしましょ。
指がかじかんでしまったよ〜。

Eco料理の実演と、live&talk.

10分でできるお料理ということで、わたしが、紹介したのは、
我が家に訪れるお客様の人気メニュー。
ブロッコリーの明太ソースがけ。
それと、Ecoということで、食材を全部使い、
ブロッコリーの茎を使ったきんぴら。
皮まで食べるなら、斜め切りがおすすめ。
繊維を分断するので、皮の厚みも気にならずにいただけます。

ブロッコリーの茎自体は、けっこう淡白な味。
なので、私は、ガツンと味付けする。
本当は、沖縄のニンニクの醤油漬け(牧志の市場で袋詰めになったもの...我が家には、常備されてるの)と、
うさちゃんが独身時代からつけ込んでいた、
秘伝のナンプラー・ソース8年ものを使うと、
ばっちりな味なのだけれど、
それが現場で再現できなかったのが、
少し残念でありました。
でもまあ、味は、そこそこGood.

本番前に下準備をしておくのだけれど、コンロが故障して、
火が使えず、テントの中で、てんてこまいまい〜〜。
汗びっしょりになりながらも、きんぴら、なんとか完成。

本番は、めんたいこソースを実演し、
20名の方々に食べていただきました。
大好評でなにより。

う〜ん。料理好きだわ〜。
「おいしい!」って、食べていただく顔を見ると、
本当にうれしい。

あれ?音楽と似てる?
「いい曲〜」って、感動してもらえたら、
本当にうれしい。

電車の中で、うとうとしながら、東京駅にもどり、
あまりの腹ぺこに絶えられず、
東京駅にある沖縄料理「うりずん」で、
うさちゃんとゆっくり食事をして葉山にもどりました。
なが〜い一日だったにゃ〜。

そして、本日、午後から始まった会社の決算が無事に終了。
ほ〜っとした。

22日のSTB139のLIVEに向けて、今週は自分リハの毎日が始まる。
がんばるぞ〜〜。













2010年10月15日

●どうしたらよかったのか、わからんくなった。

本日、朝9時30分より、代官山の「晴れたら空に豆まいて」という、
日頃、お世話になっているライブハウスで、
先日亡くなられたライターの角野恵津子さんのお別れ会がありました。
私は仕事で、行かれなかったの...

実は、前からオファーがあった、葉山のカウンセリング・スタジオでのTVの番組のインタビュー。
午後からHealingのご予約が入っていたので、この日しかないと、候補日に出していたのが、
今日のお別れ会と重なってしまった。ああ..なんということだ。
この自分...不義理..。泣...。

心の中で、「私は、彼女に、あんなに世話になったのに...なんで無理してでも東京にいいかないか?自分?」とか、
「事情を話して仕事をキャンセルすることもできたんじゃないか...」
とか...これから撮影が始まろうとしているのに、
頭の中を自分を責める声が駆け巡り、お化粧をしていると、
か〜っと汗が吹き出して、
2度もシャワーを浴び直してしまった...泣。

一方で、生前とても謙虚だった彼女が、
「自分のために仕事をキャンセルなんかしないでね。」
と言っているにちがいない、と、自分に都合良く思うようにしている自分が、
すごく嫌いになったりとか...

とにかく、なんだか、今日の午前中は、
自分の心が自分のものでないような、
そんな状態でした。

そして、撮影の入り時間を30分も遅刻してしまった。

お別れ会に向かってくれた、編集部の小泉さんから、
「会場でEPOの曲が流れていました...」
と、メッセージをいただき...ますます..じ〜ん。泣...。

どうしたらよかったのか、ほんとうにわからんくなった。

番組はジェイコム湘南『湘南魅力人』(11.1~150 OAらしい)
そんなわけで、心がどこか遠いところに行っていた状態に写っていたら、
どうしよう...。
うまく、インタビューに答えられていたらよいのだけれどな。

ああ..なんか、今日は心が、しどろもどろ。















2010年10月12日

●10/22STBリハーサル

午後1時からリハーサル。
本日のRHメニュー、20代の作品から7曲。
大きなチャレンジです。
Choro Clubと亮さんの演奏で、過去の痛みがポジティブに再構築され、
生まれ変わり、しっかり自分がリハで統合されてゆきました。

行きの車の中で、
久しぶりに昔の作品を聴きながらスタジオに向かった...。
ロンドンレコーディングのDannyのアレンジが今聴いても全く古くなっていないことに、
驚きました。

ああ〜それにしても、
昔の曲は、とてもスムースに作業が運ぶ。
POPSというのはあるパターンがあるからかもしれないな...。

今の作品、特に30代以降のものは、
非常に強い世界を持っているから、それを音に表現するプロセスがとても楽しい。
これはAQUA NOMEにも共通する。
詩が心の描写としてものすごくリアルだからかなああ...。
恋だ..愛だ...と対象が相手に向けられているのにくらべ、
自分自身に向けて問いかけとして歌われているせいもある。
より正直に、より人間らしく、より矛盾をもって表現してこそ、
ありのままの自分が表現できるような気がする。
そういう意味で、ミュージシャンから溢れ出す純粋なエンセンスに助けられて、
始めて成立する世界と言ってもいいかも。
皆が、この作品達に共鳴してくれているからこそ生まれる音!
とにかく、すばらしですよ〜。
新曲の「いけないことかな」「こどもの国」「本当はね」
これ、すごいです。
またリハで気持ちがオエっと込み上げて...泣いてしまった。

この時間...私はとても生きている気がする。
私という人間を、自分が確認している作業というか...。











●アンケートのご返信ありがとうございました。

eponicaリニューアルに向け、ご購読者の皆様に発送されたアンケート。
毎日たくさんの方から、FAXやメールで、ご返信いただきました。
本当にありがとうございました。

皆さんからのご意見を参考にしながら、
ファンクラブの会員の皆様にしか体験できない、
スペシャルな企画をたくさん考えていきたいと思います。

いよいよ今日は、10/22(金)STBで行われるLIVEのリハ。
歌いたい作品がたくさんありすぎて、困っています。

20代の頃の作品も、ショーロ・クラブ&亮さんアプローチで、
練習するつもり。

EPOの今・昔...EPO原理主義の方にも、WICA以降のEPOファンの方にも、
楽しんでいただけるような内容を、考えています。

ここ最近、考えていた、「匠にならない自分」それが何故なのか...。
自分の中で分離した過去と今を、
統合させる作業を、ここから2週間すすめていきたいと思っています。

最近読み始めた  肚(はら)〜人間の重心/〜カール・フリート・デュルクハイム〜著
という本の中に、こんな言葉がありました。

『人間は、本質との一体化ができないうちは、
たとえば、本質によらないものに規定された自我の中で生きているうちは、
完成されない。』

私に起こっていたことは、もしかしたらこれだ...と、
目を見開いて、何度も何度も読み返してしまいました。

過去の痛みを手放したいのに、トラウマとなって、
なかなか手放せない...。
もしかしたら、その痛みと向き合うことを避けるために、
逆に、その痛みに自分は依存していたのかもしれないな。
ある意味...疾病利得?

たとえ、過去の中のどこかの時期に、
私が規定された自我の中で自分が生きていた経験があったとしても、
それは、そうするしか自分には選択が無かったからであり。
そして、それは、いけないことでも、
誰かを責めることでもないのだと。

ならば、今という規定の無い、自由な意識の中で、
作品達を自分の中から生まれてきたものとして、
もういちど、自分と一緒に音楽を作ってくれる仲間と、
皆が好きだといってくれる、20代に作った作品を、
楽しんで再構築することができるはずだと、
逆にわくわくしてきたのでした。

あ〜楽しみだ!













2010年10月 6日

●山下達郎さんのLIVE!

窓をあけるとカラリっと乾いた空気が仕事場に入ってきて、

とっても気持ちがいい!こんなに秋を気持ちよく感じる自分が新鮮。

心も体も快適!


久しぶりに、山下達郎さんのLIVEにゆきました。

中野サンプラザ。懐かしい~~。達郎さんは、音楽活動35周年とのこと。

意外...もっと長く音楽活動されてるような気がしてた。

高校の後輩の佐橋君もギターでメンバーに入っている。

いつものように、安定したピッチ。声量。達郎さんすごい!!

イントロ・クイズでもあったら、たぶん、私はピンポン!鳴らせるよ。

最初のギター・カッテイングとKeyが聞こえて来た瞬間、どの作品かわかっちゃう。

知っている作品ばかりで、一緒に歌える自分もうれしい。


そうなんだよな・・・ファンの立場になってすごく考えさせられた。

30周年Liveはズバリ、20代の頃の作品をたくさん歌おう。

今の自分の世界の方が既に長かったとしても。

自分が、演奏されてうれしかったと感じるようなLiveを、30周年ではやろう!

きっと楽しいぞ!


達郎さん。アルチザン...匠の仕事でした。

どういえばいいかな...

永遠にこだわりを保ち続ける職人さんのような、美意識を感じた。


私は、ずっと職人にはならず、

旅をしている。


国府弘子さんにも、佐橋にも言われた。

「昔のPOPなEPOも、今の精神的な歌を歌うEPOもそんなに自分が思うほど、違いはないよ。」


とても意外な感じがするんだ。そう言われると。

自分だけ?そこんとこ、わかってないの...

皆は、どう思う?どう聞こえる?




2010年10月 4日

●訃報 

私の活動をずっと追ってくださった、ライターの角野恵津子さんが、
昨晩、亡くなられました。
eponica49号に掲載されるライブ・レポートの原稿を、
受け取ったばかりでした。

彼女は、ぶれない、一貫したスタンスで常に音楽と関わり、
自分の感性に響くアーティストを愛情深く、見守り、
ご自身のブログやラジオで紹介するなど、
本当に我が道をゆく貴重なライターだったと思います。
一緒に沖縄を旅した時、意外に乙女チックなところも垣間みられ、
かわいい人だな〜と思ったりもしていました。

私が、音楽性を大きくシフトした時代、特に、WICAからのおつきあいでした。
WICAをリリースした頃、
「EPOさん、どうしゃったの?」と、言われまくってた中、(泣)

「POPなEPOさんを、実はあまり聴いていなかったのだけれど、わたし的には、WICAすごく好きな世界です」

角野さんは、最初のインタビューで、そのように私を励ましてくださったあの時の姿が、
今も忘れられません。それからのおつきあいでした。
eponicaでもコーナーを持ってくださるなど、世の中で一番、私のことを理解してくれていた、音楽ライターの方でした。

「きっと、EPOと気が合うと思うよ」と、彼女の紹介で、
私と同じような活動をしている坂本サトル君とも友達になりました。

あらゆる場所で、私は、彼女の応援をたくさん受け、
いろんな場所で記事を書いていただいたり、宣伝していただいたり、
なんと、実費で、旅に同行し、レポートを書いてくださるなど、
この時代に考えられないほど音楽に熱心な方でした。

病気を宣告されてからも、自らの闘病記をブログで語るなど、
困難に前向きに立ち向かう姿に、どれだけの方々が励まされたことでしよう。

そして私は、つい最近、彼女に、遠隔Healingをする、
約束をしたばかりでした。
無理をすれば、会いにゆけたのに..とか...
後悔の気持ちが今、心の中をぐるぐると回っています。

今日は、彼女が生前、ゆかりのあった方々に、ご連絡をしています。

eponica49号...ライブ・レポートは、
彼女が病院から最後の力を振り絞って書いてくださった、
最後のレポートになります。

彼女が天国で、大好きな音楽に囲まれ、
安らかに眠れるよう、
ご冥福をお祈りしたいと思います。