●私は幸せを発明する
先週は毎日何かと忙しかったので、
今日は会社をお休みにして、昼間、東京まで家具を買いにでかけた。
途中、葉山のインターの近くで、素晴らしい木工の工房を発見。
そこで、漆で加工された杉の板のランチョンマットを購入。
素晴らしい作品ばかり。
思わず一目惚れしてしまった木製の花器。
あまりに高くて買えませんが、無骨で無口で繊細な作品。
本当に素晴らしかった。
今日は、家具といい、この作品といい、木の日だったなあ。
帰りに、近場の温泉でリフレッシュ。
サウナに何度も入って、
1キロ分汗かいてデトックス!
壮快!!!
作りかけの作品の詩のことをぼんやり考えていたら、
あっと言う間に、2時間が過ぎてしまった。
秋の青空を見上げ、極楽湯の真っ黒のお湯につかりながら、
今、現在生きているこの瞬間に過去と未来が存在しているというようなことを、
ぼんやりと考えていた。
なんて幸せな時間...。
と感じる今が、幸せな未来でもあるという。
なんて、簡単なことなのかしら?
以前の私は、「自分は幸せになってはいけない」と、考える風だった。
子供の頃から楽しいことの後に、必ず悲しいことが起こるような、
そんな家だったからだと思う。
たとえば、私が楽しく外で過ごし、家に戻ってくると、
私の母はすごく機嫌が悪い。
「ああ..私が幸せになることは、いけないことなんだな。」
と、子供の私はそんな風に思い込んでしまったのだ。
だから、楽しくても、幸せでも、そのことを表現することは、
我が家では危険なわけ。
私はその喜びの感覚を充分に味わい、自分の心に浸透させ、
自分のものにする前に、とにかく、
母親の機嫌が悪くならないように、今ある感情よりも先に、
どうあることがこの場に相応しいのかを瞬間的に考えて、
振る舞うような子供になってしまった。
幸せになることに違和感さえあった。
幸せの後に悲しみがやってくると、「ほらやっぱり」と、
ネガティブな結果に安心してさえいた。
最初から幸せになんかなれないような、変な選択もたくさんしたなあ。
このような私の思考形態がネガティブな親しみを作り、
否定的な創造、否定的になることに喜びを見つけ出していたり、
否定的な生産による結果、それを毎回実行しなければ、安心できないような、
そんなパターンを私は生きていたように思う。
そして、そのパターンに似合うような人たちをわざわざ選んで、
筋書きどうりの、トラブルに巻き込まれたり、傷ついたり。
そんな状況に、ちょっぴり快感にも似たような、喜びも感じていたり。
相手が悪いのではない。
自分が全て選んでいるのだ。
パン屋さんに入ったら、パンが売っていることぐらい、
シンプルな構造。
それは、小さな、小さな子供の頃の私の心が、
それしか方法がなくて使ってきた方法。
潜在意識は大人になっても、他の方法が見つかるまで、
古いやり方を繰り返してしまう。
その方が安全だし。知らない方法は恐いからだ。
BBSHでの4年間は、私の人生にとって修行のような日々だったけれど、
このことに気がつけたということは、
私の人生の中の最大の発見だたっと思う。
今日は、夕食後、TVを見ながら、ユザワヤで買っておいたフエルト細工の材料で、
ふいちゃんや、オモちゃんの狩りの犠牲になった、クリスマスに我が家に並ぶ、
小さいフエルト細工の、可愛いちゃんたちに、
チクチクと羊毛を差し込んで修繕してあげた。
明日は、編集部で、いよいよ皆さんからいただいた、
アンケートの集計の日。
楽しみです。