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2012年2月27日

●音楽とHealingに重なる思い。


那覇のアトリエに2月から、今回はひと月ほど滞在。
左肘のヒビ骨折の痛みも80パーセントとれた〜。
関東に比べたら暖かい気温は、怪我の痛みにとても優しかったです。

那覇は友達も多いし、楽しい誘惑が多い街だけれど、今回はほとんど外に出歩かず、
新しいAQUA NOME2の作品作りとアレンジに集中することができました。
観光客だった頃の自分はがつがつと毎日外を歩いていたけれど、
ようやくここで、暮らしているという感覚が身に付いて来たということかもしれません。

 今回は、4曲の収穫! いいアイディアが浮かんだ瞬間から、
この作品がどうなるべきか、ゴールはどこにあるのか私にはすぐに見える。
 そこにたどりついた瞬間、最初からこの場所を知っていたような、
どこか懐かしい感覚になる。
 その時、自分が充実したエネルギーですごく満ち足りる。
ああ〜今、私は、生きている!って、自分が自信でいっぱいになる。
 最近思うのだけれど、実は、私は無から何かを作り出しているのではなく、
作品を作りながら、自分が忘れていたものを思い出す作業をしているのではいかと思う事がある。
 クライアントの施術をしていても同じ事を思う。
Healing後、その人が、本来のコア・エッセンスでキラキラに輝き、
「ああ〜この人って、こんなに美人だったんだわ〜?」と、驚くことがあるから。Healingは、そもそも「その人が、見失っていた、本来の神聖な場所にもどること」という意味があるように、私たちは施術によって、その手伝いをしていという点で、もの作りもHealingもとてもよく似ていると思う。
 何故、私は音楽が好きなのか?
自分が何者なのかわかるからなんだ。




2012年2月23日

●ウオン ウインツアンさんAQUA NOMEに加わる

那覇の仕事場に、気持ちよくこもる毎日。
AQUA NOMEの新作のプログラミング中です。

早く皆の音で聴いてみたくて、
わくわくしているところです。
それぞれのパートをPCに打ち込みながら、離れていても個人練習ができるように、
アレンジ中。

今回はピアノの音が、頭の中にずっと響いている。
祈りを知っている人がいい...。

魂レベルで洗練されていて、なにものにも媚びたりせず、
自分に正直でいることを恐れない音を、今回のAQUA NOMEが呼んでいる。

ふと、震災の時にひたすら祈りの時間をピアノで発信していた、
ウオン ウインツアンさんのことが思い浮かばれました。

12月の東京公演に先駆け、
少人数でAQUA NOMEは、全国を回りながら音固めをしたいと思っています。
DVDもリリースしますので、お楽しみに。












2012年2月15日

●いくつもの地球に生きる


秋に始まる新しいAQUA NOMEのプリ・プロダクション(通称プリプロ)をしていると、

心の底から幸せ感が湧いて来て、

次々に降りてくる旋律に感動して、

大泣きしながら、また鍵盤に向かう。

いったいどこからやってくるのだろう..。

これらは。

とても不思議な気持ち。

悲しいのではないの。


やっとここに帰ってこれた。

できれば、ずっとここで生きていたい。

どこにも帰りたくない。

そんな気持ちになったかと思うと、


休憩中に、コーヒーなど入れながら、

先日リリースされた、昨年12月にセンチメンタルシティーロマンスの皆さんと、

演奏したLiveのCDを聴くと、やっぱりすごくよくて、

ここにも自分が住んでいることを思い出し、

それはそれですごく楽しくて、同時進行で、

POPな作品にもとりかかる自分がいる。


自分の体をもっと感じたり、生きることの現実と向き合ったり、

POPな曲からは、泣いたり、笑ったり、踊ったり、

そんな元気をもらえる。


AQUA NOMEは、私に、音楽家としても、人としても、

自分という存在の真実の場所を思い出させてくれる。

心が、とても正直でいられる安全な場所。


このふたつの周波数と、エネルギー・フィールドは、

確実に違う。


『人間は、本質との一体化ができないうちは、たとえば、

本質によらないものに規定された自我の中で生きているうちは、完成されない。』

確か、カールフリート・デュルクハイムが言ってた。


私にとっては、AQUA NOMEという地球は、

私が本質的な存在で生きられる場所なのだと思う。


ある日、もしかして?と、思ったことがある。

もしかして?と思って意識してみたら、

ものすごく合点がいった。


実は、私は、いくつかのディメンションの地球に生きていて、

いくつかのバージョンの自分が、

そのいくつかの地球を行ったり来たりしているのではないかと。

そう思ったら、すごく生きやすくなった。


私の個人的なディメンションレベルでは、

、一瞬、一瞬、違う自分。

出会う人も違うし、歴史も違っていてる。

恐れの質も、未来の作り方も、

時間の進み方も、本当に違う。


新しい自分。

いくつもの地球で、

どれも自分として私は生きているような気がする。