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2012年4月13日

●やめられないと思う事をやめる~禁煙編


「人の話を無条件にひたすら聴く」という仕事の臨床から、すごくおもしろいことを発見しました。

 「〜したいのにできない」というような、相談内容。

 そのStoryは、多様です。

「煙草を、やめたいのにやめられない」

「眠りたいのに眠れない」

「あの人と別れたいのに、別れられない」

「本当の気持ちを言いたいのに、言えない」

という、欲求とかなわない現実の狭間で苦しむクライアントの人たち。

 

その声に、ひたすら共感し、励ます日々。

 

先日、仙台で行われた日本禁煙学会。

「煙草」を、西洋医学の領域から研究する学会です。

そのコンベンションにお招きいただき、お医者様や看護士さんと、

楽しいひとときを過ごしました。

 

「この中で、煙草を吸っているお医者さん、看護士さんいますか?」

と、マイクで呼びかけたところ、ザワザワとどよめいたあと、

皆さん周りを見渡しはじめ、クスクスっと笑いが起こりました。

 

驚くことに、この時、誰も手をあげる人がいなかったところをみると、

禁煙学会に参加するお医者さんは、皆、煙草は吸わない?

皆さんが、本当に正直だったかどうかはさておき。

 

お医者さんを前に、勇気のいることでしたが、

私がカウンセリングを通じて体験した禁煙成功者についてのエピソードについてLiveの中で、触れてみました。

依存的な趣向に苦しんでいる人たちに共通するのは、

自分の趣向を、自分でも肯定していないし、

社会からも肯定されていないという痛み。

 

人間は、意図と目的を持って、思い描いた結果を現実化します。

タバコを吸いたい人の意図と目的は人によってそれぞれ様々なんですが、

スムースに目的を達成させるために、

 

ほっとしたい

考え事をしたい

むしろ、何も考えたくない..etc

 

何かしらのために、煙草の力を借りている状態。

 

実は、愛煙家は、煙草を吸う時、前向きな目的を持っていて、

それによって得られる、利益(形があってもなくても)を、体感によって、

必ず思い描いています。

しかし、一般的に、煙草は、健康面においても受動喫煙の面からも、

否定的に捉えられているので、たとえその人の中で、前向きな利益を得るために吸っていたとしても、思いが分離してしまうのではないかと思うのです。

その分離感がますます、禁煙に対する苦しみを誘発させます。

 

ある方のセッションで、私は、自分の小さい頃のことを思い出していました。

母に、「ピアノのお稽古やめたい」と言ったら、

「やめたきゃ、やめれば」と、言われたとたん、

不思議と、ピアノをやめるのを、やめた経験が私にありました。

 

「あんたの好きにしなさい」と、言ってもらえると、

母が、私が好きにしたい気持ちを承認してくれたことに、満足し、

もう少し親の言い分を聞いてみようかな?

と、逆に冷静になったことがありました。

 

そのことを、ふと思い出して、

私は、まず、彼らが「煙草が好き」ということを、一度承認してあげたら、

どうなるかな?と思い、そのように声がけしてみました。

 

「なんで、煙草、やめなきゃいけないんですか?やめなくてもいいじゃないですか?」

私は、彼を心から、煙草を吸う彼を承認しました。

するとクライアントは、

「そんなこと言われたのは始めてだ。」と、びっくりしていました。

でも、その後、彼は、それまでの人生で、

父親からほとんど、ありのままの自分を承認されたことがないというエピソードを語り始めました。

 

本当に禁煙に成功するかどうかなんて、

その時、私は想像もしていませんでした。

 

煙草を吸っている時の自分の意図と目的について、

クライアントが充分に自分を肯定し、同時に他者からも肯定されるという経験をしていただいたところ、

不思議ですね、その方、一ヶ月後に、すっかり煙草をやめていました。

 

結果は、禁煙のことだけでなく、

誰かから認められるためにがむしゃらに働く傾向があり、

人との関わりにも問題を抱えていた彼のエネルギーは、

その後、以前よりも、少しリラックスしたように見えました。

 

人からありのままの自分を承認されるって、

本当に大切ですね。

 

この方法、その後、いろんな場面で試していますが、

成功率、かなり高いです。