●悲しい音楽は聴きたくない
9月は『愛』の月だったな。
私、個人的には、本当に深く、友達の暖かい愛に支えられた。
そして、心から、心から、
感謝の気持ちでいっぱいになった。
私の友達はみ〜んな、いい🎵を持っている。
最高のメロディーだ。
一緒にいると、楽しくなる。
嫌なことなんか忘れる。
その旋律は、最初からそうだったわけではなく、
皆も、人間関係の不協和音や、
ディスコードや、
うまく流れない不自然なフレーズを改良し、
乗り越えて、ようやく一番いい音を出せるようになった、
最高の結果なんだと思う。
それを、私は、聴いているのだ。
今、私には、とっても気になることがある。
その音楽が聴こえてくると、心の底から悲しくなる。
ただ、ただ、残念で、失望する音楽なのである。
同じような悲しい音楽を、
私は過去に何度か聴いたことがある。
その頃、それを平常心で聴けない私に共感してくれる人は、
誰もいなくて、
「そんなことを思う、君がおかしい」とさえ言われてきた経験から、
しばらく、自分の直感と、
本能的な感情を押し殺してしまったために、
気が変になりそうだったことがあった。
けれど今は違う。
夫の耳にも、友達の耳にも、たぶん、一般の耳にも、
その悲しい音楽は聴こえている。
「誰もが気づいてる
誰もが感じてる
見えない場所から聴こえるその声に」
今日、思ったんだよね。
その音楽が流れる場所は、
もしかしたらもう、私の居場所じゃない。
長年親しんだ、場所かもしれない。
けれど、そこに居続けることで、
その音を聴き続けることになるのであれば、
きっと、私は、壊れてしまうだろう。
その音を奏でている人々の心が、
もう壊れているのだから。
10月に入って、
私の中で、何かが変わった。
新しい流れが始まった。
しばらくは、過去の自分の残像を生きることになるかもしれない。
しかし、それは、もう、
いい音楽が流れていた、
私たちのあの頃の思い出話しのようなのかもしれない。
週末の台風が、
9月の心のおりを洗い流してくれるに違いない。