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2014年12月 2日

●Choro Clubありがとう!

Choro Crubとの久しぶりの共演でした。
私たちもそれぞれに年齢を重ね、いろんな体験をして、
大人になりました。
この日のCholo Clubは、

まるで、上等の古酒のように、

まろやかで繊細でキレのあるサウンドでした。


Choro Club。

中南米音楽ファンの方々にとっては、

スターであります。


テクニックはもちろんですが、歌心を丁寧にくみとり、
呼吸を合わせて演奏してくれるプレーヤーのグループとしては、
日本で最高峰だと思います。

他に、このようなアンサンブルを作る人たちがいるでしようか?
若い音楽家たちが、Choro Clubの後を追いかけ、
様々なアプローチで音楽表現を始めているほどに、
注目される人々であります。


このような人々を、アーティストたちが、ほうっておくわけもなく、
彼らの人気はソロとしての活動へ、

そして、映像音楽から、女性歌手中心に広がってゆきました。

私はPopsのフィールド出身で、
それまでは、スタジオで活躍している人たちとの交流が中心だったので、
彼らと出会うことなど、
考えてみればありえないことでした。

自分が借り物の音楽をやっているような、
罪悪感に悩み続けた20代。
このままでは、音楽が嫌いになりそうでした。
母の顔色を気にしていきていた子供の頃と、なんら変わらない、

レコード会社の顔色を見て売れる音楽を作ろうと、

努力している自分が、いったい誰なのかわからないという日々が続いていました。
(『あきらめたくない』という作品は、こんな気持ちから生まれました。)

私は、そんな自分の居心地が常に悪く、自分が嫌いでした。
このままではいけない...
このままでは音楽も、人も、自分も嫌いになってしまう...。
悩んで..悩んで...私は2年間、日本を家出し、
ロンドンに移住。
自分の感覚でものを決め、判断し、生きる時間を積み重ねるうちに、
それが自信につながっていきました。
誰のためでもない、自分の体の中から、
血の中からDNAが震えて喜ぶ言葉やメロディーを、
浮かんでくるままに、素直に受け取り表現できるようになりました。

その時は既に、「これじゃ売れない」とか、
「こんなの作ったらファンががっかりするかな」とか、
そういうスーパー・エゴ(まるで親が私に言うような言葉、笑)

を完全に無視できる自分になっていました。

そして、帰国後、出会ったのがChoro Clubでした。

彼らと出会ってからはもうじき25年。
この日、あらためて感じたことがありました。
この人たちとでないと再現できない世界があると。
特に『Wica』以降の作品は。

そして、これらの楽曲は、今後、彼らと一緒にいろんな場所で、
歌い続けていかなければならないことを、確信しました。

夏のPops。
冬のAqua Nome。
このふたつは定着し、すでに東京原宿クエストホールで毎回、
完売を続けている状況に成長しました。

ChoroClubとの定期的なLiveについては、『Wica』的な世界を中心に、
日本中にホームグラウンドをみつけ、
個人主催者の企画の受け入れもしていきながら、
定期的に演奏していくことが、次の目標です。

この安全で、神聖で、創造的な人々との出会いを、
一瞬、一瞬、大切にしながら、
彼らと一緒に年をとってゆきたいと思いました。

ChoroClub!!本当にありがとうございました。

音楽仲間として、

ゲストで素敵な歌声を聴かせてくれた比屋定篤子さんにも、
心から感謝いたします。

スタイリストの清水まりさん...。
わざわざ沖縄までかけつけてくれて、
衣装の準備を手伝ってくださり、本当に助かりました。
今回は、何も、おもてなしできなくて、ごめんね。

Lequioの嘉数さん、そしてスタッフの皆さん、

お世話になりました。
素敵なお花をありがとうございました。

皆に元気に再会できて、本当にうれしかった。
そして、音楽で浄化された心は同時に拡張もしていて、
今は、意識の収縮期に入っています。
そして、ちょっぴりさみしい。

沖縄、お天気も悪いし、寒いし、
どうしたら、このスペースが埋められるか、
考え中...。
私らしく、こういう時こそ、音楽でも作ろうと思います。





Choro Crubとの久しぶりの共演でした。
私たちもそれぞれに年齢を重ね、いろんな体験をして、
大人になりました。
この日のCholo Clubは、まるで、上等の古酒のように、まろやかで繊細でキレのあるサウンドでした。

Choro Club。中南米音楽ファンの方々にとっては、スターであります。
テクニックはもちろんですが、歌心を丁寧にくみとり、
呼吸を合わせて演奏してくれるプレーヤーのグループとしては、
日本で最高峰だと思います。

他に、このようなアンサンブルを作る人たちがいるでしようか?
若い音楽家たちが、Choro Clubの後を追いかけ、
様々なアプローチで音楽表現を始めているほどに、
注目される人々であります。
このような人々を、アーティストたちが、ほうっておくわけもなく、
彼らの人気はソロとしての活動へ、そして、映像音楽から、女性歌手中心に広がってゆきました。

私はPopsのフィールド出身で、
それまでは、スタジオで活躍している人たちとの交流が中心だったので、
彼らと出会うことなど、
考えてみればありえないことでした。

自分が借り物の音楽をやっているような、
罪悪感に悩み続けた20代。
このままでは、音楽が嫌いになりそうでした。
母の顔色を気にしていきていた子供の頃と、なんら変わらない、
レコード会社の顔色を見て売れる音楽を作ろうと、努力している自分が、
いったい誰なのかわからないという日々が続いていました。
(『あきらめたくない』という作品は、こんな気持ちから生まれました。)

私は、そんな自分の居心地が常に悪く、自分が嫌いでした。
このままではいけない...
このままでは音楽も、人も、自分も嫌いになってしまう...。
悩んで..悩んで...私は2年間、日本を家出し、
ロンドンに移住。
自分の感覚でものを決め、判断し、生きる時間を積み重ねるうちに、
それが自信につながっていきました。
誰のためでもない、自分の体の中から、
血の中からDNAが震えて喜ぶ言葉やメロディーを、
浮かんでくるままに、素直に受け取り表現できるようになりました。

その時は既に、「これじゃ売れない」とか、
「こんなの作ったらファンががっかりするかな」とか、
そういうスーパー・エゴ(まるで親が私に言うような言葉、笑)を完全に無視できる自分になっていました。

そして、帰国後、出会ったのがChoro Clubでした。

彼らと出会ってからはもうじき25年。
この日、あらためて感じたことがありました。
この人たちとでないと再現できない世界があると。
特に『Wica』以降の作品は。

そして、これらの楽曲は、今後、彼らと一緒にいろんな場所で、
歌い続けていかなければならないことを、確信しました。

夏のPops。
冬のAqua Nome。
このふたつは定着し、すでに東京原宿クエストホールで毎回、
完売を続けている状況に成長しました。

ChoroClubとの定期的なLiveについては、『Wica』的な世界を中心に、
日本中にホームグラウンドをみつけ、
個人主催者の企画の受け入れもしていきながら、
定期的に演奏していくことが、次の目標です。

この安全で、神聖で、創造的な人々との出会いを、
一瞬、一瞬、大切にしながら、
彼らと一緒に年をとってゆきたいと思いました。

ChoroClub!!本当にありがとうございました。
音楽仲間として、ゲストで素敵な歌声を聴かせてくれた比屋定篤子さんにも、
心から感謝いたします。

スタイリストの清水まりさん...。
わざわざ沖縄までかけつけてくれて、
衣装の準備を手伝ってくださり、本当に助かりました。
今回は、何も、おもてなしできなくて、ごめんね。

Lequioの嘉数さん、そしてスタッフの皆さん、お世話になりました。
素敵なお花をありがとうございました。

皆に元気に再会できて、本当にうれしかった。
そして、音楽で浄化された心は同時に拡張もしていて、
今は、意識の収縮期に入っています。
そして、ちょっぴりさみしい。

沖縄、お天気も悪いし、寒いし、
どうしたら、このスペースが埋められるか、
考え中...。
私らしく、こういう時こそ、音楽でも作ろうと思います。