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2015年2月 8日

●生まれる場所を選ぶ

どうしたいのかわからないときは、
何も、選ばないという選択もあるけど、
どれを選んでもよいのだという可能性に、
かけてみる。

それも与えられた流れだとしたら、
その流れに乗ってみる。

すると何かが動く。
子供の頃からそうやって結果を作ってきました。

そして、流れが止まったときは、
無理して漕がない...。

私の母は、私のそんな性格、生き方を、
とても恐れていました。

私がそれを選んだことによって、
これから起きる、最悪の結果を、
まるで既に起こったかのように、
事細かく説明し、
私が恐怖で動けなくなることを、
母は期待していました。

「やってみなくちゃわからないじゃない!?
なんで、あなたが、勝手に結果を決めるの?」

母には、自分と娘が違うということを、
全てにおいて、
受け入れることができませんでした。

母が好きなものは、
私も好きでないといけないし、
母が嫌いなものは、
私も嫌いでないといけませんでした。

他の親を知らないので、
子供の頃から、親というものは、
そういうものなのかと思っていました。

私が、彼女の期待に添えない時の、
彼女の暴れっぷりを見るたびに、

私が私でいることは、
母にとって不幸なことなのだろうか、
そんな風に子供の頃は思っていました。

母に対する罪悪感と、
自分の本当の気持ちを止められない、
ふたつのエネルギーに、
心が常に揺れていました。

流れを止められること。
感じることを否定されること。

それは、

私が自分自身と繋がるための、
想像エネルギーの流れを止められることと同じ。

私にとって、もっとも痛みをともなうことでした。

大人になってから、わかったけどね。
母の心の中で勝手に起こっていることは、
いっさい私には関係のないことなのだと。
それに私が責任をとる必要は、
いっさいないのだということも。

ぶたれても、縛られても、殴られても、
止められても、中断されても、

作りたい。
歌いたい。
弾きたい。
続けたい...。
だって、それが私。

それぐらい今の仕事は、
私にとって確信に満ちたものだったということを、
親から与えられた制限によって、
気づかされたのであります。

いろんな面において、
混乱した家族でしたが、
私にとっては、
その方がよかったのだと思う。

私たちが、人生の目標によって学ぶ場所を選ぶように、
生まれる場所というのも、
そうなってるようにこのごろ思う。

ところで、
私は家の中で育っている、
このチューリップの生き方を信じているけど、
この先、どうしたいのだろう。
「育ちたいように育っていいよ」と、
心の中で、声をかけた朝でした。

どうしたいのかわからないときは、
何も、選ばないという選択もあるけど、
どれを選んでもよいのだという可能性に、
かけてみる。

それも与えられた流れだとしたら、
その流れに乗ってみる。

すると何かが動く。
子供の頃からそうやって結果を作ってきました。

そして、流れが止まったときは、
無理して漕がない...。

私の母は、私のそんな性格、生き方を、
とても恐れていました。

私がそれを選んだことによって、
これから起きる、最悪の結果を、
まるで既に起こったかのように、
事細かく説明し、
私が恐怖で動けなくなることを、
母は期待していました。

「やってみなくちゃわからないじゃない!?
なんで、あなたが、勝手に結果を決めるの?」

母には、自分と娘が違うということを、
全てにおいて、
受け入れることができませんでした。

母が好きなものは、
私も好きでないといけないし、
母が嫌いなものは、
私も嫌いでないといけませんでした。

他の親を知らないので、
子供の頃から、親というものは、
そういうものなのかと思っていました。

私が、彼女の期待に添えない時の、
彼女の暴れっぷりを見るたびに、

私が私でいることは、
母にとって不幸なことなのだろうか、
そんな風に子供の頃は思っていました。

母に対する罪悪感と、
自分の本当の気持ちを止められない、
ふたつのエネルギーに、
心が常に揺れていました。

流れを止められること。
感じることを否定されること。

それは、

私が自分自身と繋がるための、
想像エネルギーの流れを止められることと同じ。

私にとって、もっとも痛みをともなうことでした。

大人になってから、わかったけどね。
母の心の中で勝手に起こっていることは、
いっさい私には関係のないことなのだと。
それに私が責任をとる必要は、
いっさいないのだということも。

ぶたれても、縛られても、殴られても、
止められても、中断されても、

作りたい。
歌いたい。
弾きたい。
続けたい...。
だって、それが私。

それぐらい今の仕事は、
私にとって確信に満ちたものだったということを、
親から与えられた制限によって、
気づかされたのであります。

いろんな面において、
混乱した家族でしたが、
私にとっては、
その方がよかったのだと思う。

私たちが、人生の目標によって学ぶ場所を選ぶように、
生まれる場所というのも、
そうなってるようにこのごろ思う。

ところで、
私は家の中で育っている、
このチューリップの生き方を信じているけど、
この先、どうしたいのだろう。
「育ちたいように育っていいよ」と、
心の中で、声をかけた朝でした。