●母の日に思う。
5月12日に57歳を迎えることができました。
たくさんのお祝いメッセージをいただき、
本当にありがとうございました。
誕生日当日は、横浜で、5月19日にライブを控える、
鬼怒無月さんとのデュオのリハーサルをしていました。
健康で、楽しく、自由に歌えていられることの幸せを感じながら、
最終で沖縄にもどり、その日は夫とゆっくり食事。
翌日から、ようやく私のGWスタートです。
14日は母の日でしたね。
「お母さんが好き」と、言える人は、
幸せですね。
実は、私を生んでくれた母が、
今年の2月12日に母が他界していました。
「他界していました。」
と書いたのは、
私は、母が亡くなったという知らせを、
すぐにはもらえなかったからです。
「人が亡くなると、生前のその人の姿が、
みごとなまでに残された人に映し出される。」
と、聴いたことがありました。
実子である私に、実の家族から知らせがこないこと。
大切な葬儀場の場所も詳細も、
私には送ってもらえなかったこと。
この状況全てが、母の考え方を映し出すものであったならば、
家族の非常識さを問うものにはなりません。
母のこれまでの不可解な情動に、病名を付けるなら、
あてはまるものがたくさんありました。
治療は、医療関係者のみが治療を許される難しい領域にありました。
私と夫は、2007年に、フロリダ州マイアミにある、Brennan Healing Scienceで、生体エネルギーと心の関係を4年間専門的に学びました。
それは、母親だけでなく、人の行動と思考を理解する、よい助けになりました。
私が受けた虐待の記憶、言葉の暴力、虚言、
悲しい記憶は、今でも私の心や体に残っていますが、
何故、母がそうなってしまったのかを、理解することで、
母への嫌悪感の質は、以前とは少し違ってきたように思います。
母が亡くなってから49日目。
当然、私には、49日の案内は来ません。
私たちは、沖縄式で、恩納村の海で母を送りました。
親しい友人たちに集まってもらい、
ごちそうをお供えし、うちかび(天国で使うお金)をたくさん焼いて煙にし、
母には、あの世で贅沢をしてもらうことにしました。
今でも母が亡くなったことに、涙は一滴も出ません。
母は、心の苦しみから開放され、
私の本当の私のお母さんになって、
天国から私を見守っていてくれることでしよう。